直前の大雨で開催できるかやきもきした人も多かったと思います。
花火はぶじ開催にこぎつけて、
リアルタイムでNHKBSプレミアムで中継されました。
この中継を、部屋を暗くして夕ご飯を食べながら、
ワイン片手にいままで見ていました。
秋田まで行かなくても臨場感あふれる花火に感動!
お昼は、倉庫の横の背丈以上に伸びたアジサイを
ばっさり切りました。
他の紫陽花もハナガラを摘もうと西のほうに行くと、
なんと、センダンの木の下に咲いている彼岸花を見つけました。
まだ8月下旬、お彼岸まではひと月ほどあります。
雨が多かったからでしょうすか、
ちょっと気が早い彼岸花です。
高砂百合は、あちこちで咲きはじめました。
お米を炊かなかった日は、朝ごはんに冷凍しておいたパンを食べます。
ごはんパンは、一口大に切って、生ハムとモッツレラチーズをかけて、
ガスレンジの魚焼グリルで焼きました。
火力が強いので、ほどよい焦げ目が付きました。
ソフトパンはそのまま、ジャムや卵をのせて食べましょう。
夕ご飯。
メーンはバローで見つけた「越後枝豆」(茶豆)。
フライパンで蒸し焼きにしたら、とっても美味しいです。
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ところで、
中日新聞の社説「政治と世論を考える」は、
きょうの「(6)新聞の責任かみしめる」で連載終了です。
政治と世論についての考察、おもしろかったです。
社説:政治と世論を考える(6)新聞の責任かみしめる 2017年8月26日 中日新聞 世論研究の先駆的著作「世論」が米国で刊行されたのは一九二二年。著者であるリップマンが三十三歳のときだった。 彼の疑問は、この複雑で巨大な現代社会で一般の人々が問題を正しく理解できるか、民主主義が可能か、ということだった。確かに民主主義は主権者である国民が正しくさまざまな問題を理解し、正しい投票をする前提で動いていく仕組みである。 だが、どう考えても彼には人々が正しい理解をしているとは思えなかった。従って公衆が賢明な意見を持つことを前提とする民主主義は成り立たない。だから、情報の分析や判断は、専門家集団に委ねざるを得ないと考えた。専門家とはジャーナリストなどだ。 第一次世界大戦に情報担当大尉として加わり、世論がいかに政府によって操作されやすいものであるかも体験していた。それが「世論」を書く動機でもあった。 <新聞は一日二十四時間のうちたった三十分間だけ読者に働きかけるだけで、公的機関の弛緩(しかん)を正すべき『世論』と呼ばれる神秘の力を生み出すように要求される>(「世論」岩波文庫) リップマン自身がワールド紙の論説委員であったし、新聞コラムを書くジャーナリストであった。晩年にはベトナム戦争の糾弾で知られる。正しいと信じる意見を述べ続けていたのである。 現在の日本の新聞界はどうか。 日本新聞協会が昨年発表した全国メディア接触・評価調査では、新聞を読んでいる人は77・7%。「社会に対する影響力がある」との評価は44・3%で、二〇〇九年調査の52・8%より低下。「情報源として欠かせない」との評価は32・5%と、〇九年調査の50・2%より大きく落ち込んだ。 影響力はあるとしても、情報源として不可欠であると思う人は減っている。つまりインターネットなどとの接触が増えているのだろう。だが、ネット社会は虚偽の情報も乱れ飛ぶ密林のようなものでもある。 リップマンに従えば専門家を介さないと、国民は問題を理解できなくなり、世論は政府に操作を受けやすくなる。逆に、熱した世論に迎合する政治だってありうる。 そうならないよう、情報を集め分析し国民に知らせるのが私たちメディアの仕事である。ネットも同様だ。世論の重みをあらためてかみしめたい。=おわり(桐山桂一、豊田洋一、青木睦、飯尾歩) |
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