立春から起算して210日目、この日は大風が起きるという言い伝えがある。そのため、奈良大和神社の「風鎮祭」や富山市の「おわら風の盆」など風を鎮める行事が行われてきた。関東大震災は大正12年の9月1日、やはりこの210日に起り、死者12万人を超える大惨事となった。この日を「防災の日」として、大災害の記憶を蘇えらせ、防災司意識を向上させようとしたの1960年のことである。
この「防災の日」の企画として、ここのマンションでも火災の避難訓練と市の消防センターで煙避難体験や地震体験などをして、災害の恐ろしさを改めて実感してきた。この地震体験では、地震の揺れを「関東大震災」や「東日本大震災」と同じ揺れが体験できるようになっていた。やはり、震度7という揺れは、いままで経験したことのない揺れだ。実験装置でなく現実にこのような揺れが起きる恐ろしさが思いやられた。夕方のテレビで安部首相も同様な体験をしていたが、この体験が実際の災害にどの程度効果があるのか、多少の疑問も残る。
夏目漱石の初期の小説に『二百十日』がある。圭さんと碌さんが、二百十日に阿蘇の山に登って遭難しそうになる話である。なにしろ、明治時代の山歩きであるから、山に向いた衣装や靴を履いているわけでない。足中に豆をこしらえ、風で帽子を吹き飛ばされる。二百十日のこととて、雨になり4時ごろに既に暗くなっている。若い二人は無鉄砲に頂上に向かうが、豆を作った碌さんが痛がるので、先に行く道を確かめに行った圭さんが、草木のなくなった谷に落ちてしまう。
谷から上がろうとする碌さんとそれを助けようとする圭さんの会話を漱石の筆が活写している。「おい」「何だい」「君は僕に力がないと思って、大いに心配するがね」「うん」「僕だって一人前の人間だよ」「無論さ」「無論なら安心して僕に信頼したらよかろう。からだは小さいが、朋友を一人谷底から救い出す位の事は出来る積りだ」「じゃ上がるよ。そらっ」「そらっ・・・もう少しだ」
二人が阿蘇の山に登った日は二百十日であった。やはりその日は、風が吹き、雨が降った。あまつさえ、阿蘇山の噴煙はもくもくと気味が悪いほど噴き上がっていた。