大陸からの高気圧に覆われて、秋の空は高く、青く澄み渡っている。雲が出ても1万mもの高いところで横に流れる絹雲が主体で、砂ぼこりや黄砂の飛来も少なくなるので、なおさら空は高く見える。稲は実り、豆や南瓜の収穫も始まっている。涼しさは食欲も増し、馬も肥える。この成句は、日本では食欲の秋の代名詞のように使われている。
中国の史書『漢書』の「匈奴伝」に、「匈奴秋に至る。馬肥え弓勁し」と書かれている。匈奴とは、モンゴル、キリギス草原を根拠にし、馬を操って秦帝国に侵入を図る騎馬軍団である。さしもの始皇帝も、匈奴の侵入を防ぐため腹心の将軍を派遣し、加えて万里の長城を築かねばならなかった。中国ではこの成句は、人々に匈奴の侵入に備えよ、との警告である。
農耕を主体とした帝国を護るため、どれだけ多くの戦士が、長城を防衛するために派遣されたことであろうか。漢詩をひもとくと、この長征を詠んだ詩がなんと多いことか。それだけ中国の為政者の、侵略者に対する警戒心は歴史に長く横たわっている。同時に、辺地に派遣された兵士の家族の嘆きはまた大きなものがあった。
万里久しく征戦し
三軍ことごとく衰老す
李白は匈奴のとの戦いを、生々しく漢詩に詠みこんでいる。万里の遠きに渡って戦いを繰り返し、わが大軍も衰えてしまった。匈奴は人を殺すこと田を耕すこのように行い、白骨は砂漠に散乱している。廃馬は悲しみ、カラスやトンビは人のはらわたを引きづり出して、樹の枝に掛けている。歴史とは、人が生き残るための悲惨な物語である。