松本侑子訳『赤毛のアン』が面白い。孤児院からグリーン・ゲイブルズの家に貰われてくる赤毛で雀斑だらけのおしゃべりな少女アンの物語だ。アンにとって、このカナダのプリンスエドワード島の自然やカスパート家での生活は、どれもが初めて触れるもの、見るものばかりだ。アンは生まれたばかりの小鳥のように、日々新しい体験を積み重ねていく。失敗を重ねながらも、小さな身体のなかから湧き出てくるアンの言葉は、驚きと感動に満ちあふれている。まるで生まれたての人間の清らかな魂に触れているような気がする。
隣の屋敷の住む同じ年頃の少女ダイアナとの友情は、アンとって何ものにも代えがたい宝物だ。母親がわりになったマリラは、ダイアナを招いて二人だけのお茶会をさせる。お茶会で二人は、大人をまねた特別の言葉づかいで会話する。「お母様はご機嫌いかが?」とアンが尋ねると、「おかげさまでとても元気ですわ。」とダイアナが答える。ちょっと日本のママゴト遊びの雰囲気だが、お茶や飲み物は本物で接待する。
アンがマリラの造った木苺水をダイアナにのませるのだが、木苺水と書いてある瓶にはスグリの果実酒が入っていた。マリラがうっかり入れ替えていたことを教えなかったのである。あまりにおいしかったので、ダイアナはそれを立て続けに3杯も飲んでしまい、酔って気持ちが悪くなって家に帰る。ダイアナの母は、アンがイタズラで果実酒を飲ませたと思い、二人が一緒に遊ぶのを禁止してしまう。マリラとアンは謝りにダイアナの家に行くが、母は頑固でアンを許そうとしない。
こんな事件もアンの誠意と努力で解決していくのだが、その展開はページを開くのが待ち遠しいほどに読む者を楽しませてくれる。この本も本棚の奥で10年も眠ったままでいたが、読んでみると重厚でしかも面白い。これを書いたモンゴメリが、イギリス文学に造形が深く、信仰心も篤いので、随所の聖書の言葉が鏤められ、シェクスピアのどの古典からの引用が、知的好奇心を刺激する。それも、翻訳あたった松本侑子の綿密な調査による裏づけがあるからだ。