常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

太公望

2013年09月26日 | 


釣が好きな詩吟の先生から豆アジをいただいた。夜釣ったものを氷で冷やして、朝届けてくれたので新鮮そのものである。目は澄んで、硬直が解けていない。早速、から揚げにしてご馳走になる。美味、このうえなし。

釣り好きを太公望と呼ぶが、これには中国の古い故事が関係している。紀元前11世紀ごろというから、今から3000年以上も前の話でほとんど伝説の範囲に属している。この時代の中国は殷で、そこを治めるのは紂王であった。だが、敵が献上した美女妲己の色香に溺れ、酒池肉林の放蕩の限りを尽くして滅ぼされる。まんまと敵の術中にはまったのである。殷を滅ぼしたのは周の武王である。

武王の父は西伯といい、後に文王になるが、渭水の畔で釣りをしている呂尚に会う。呂尚はこの時職に就くこともなく、本ばかり読んで、それに飽きると釣りに出かけるという毎日であった。夫の体たらくに愛想をつかした妻から去られ、一人暮らしであった。西伯とどんな話をしたのか。おそらく呂尚は殷の腐敗とそれを取り巻く諸国についての考えを述べたものと思われる。

呂尚の話に感銘を受けた西伯は、「貴公こそ、父が望む人物だ。貴公を太公望と呼ぶことにしよう。」こうして呂尚は、周の軍事顧問ないし補佐役に抜擢された。その子武王が、殷の
紂王を討つときもその知恵袋として活躍した。別れた妻が、呂尚の出世を見て復縁を申し入れてきた。呂尚は盆に水を入れ、それを地面に撒いて言った。「水を掬って盆に返してみるがよい」元妻は泣く泣く水を掬ったが、もとより盆に返すことはできない。「覆水盆に帰らず」とは、この故事に基づいている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする