石榴の実が色づいて大きくなった。八百屋に並ぶ石榴は、輸入したものでこちらはさらに大きい。1個500円と高価だが、石榴酒にするにはもってこいだ。3個ほども買って、焼酎に漬け込んでおくと特性の果実酒ができる。庭に生った石榴は、もっと熟すると裂けて、なかから赤い種皮に覆われた種がこぼれ出る。鳥がこれを食べて、子苗が別の場所で育つ。
知人で娘が国際結婚をした人がいるが、先方からきた婿さんが石榴が好きで、生食で食べたという話を聞いた。日本では、実は果実酒にするくらいで、あまり生食で用いないようだ。それでも、石榴の栽培の歴史は古く、かっては生で食べられたという。
ひやびやと日のさしてゐる石榴かな 安住 敦
江戸の銭湯に石榴口というものがあった。湯が冷めるのを防ぐために、湯船の前を板で覆った。人は板の下の隙間から身を屈めて、湯船に入る仕組みであった。当時、石榴で作った酢で鏡を磨いたことから、屈み入ると鏡要るの語呂合わせでこう呼ばれたという。
石榴口が設けられたのは、風呂の入浴客の多さが理由であった。大勢の人が、引き戸をを開けたり閉めたりするのは面倒である。なかには開けたまま出ていく人もある。そこで、一方の引き戸は閉めきり、もう一方は1メートルほどの石榴口にして、ここを屈んで入るようにした。内部は湯気と薄暗い灯のみだから、出入りするには流儀があった。
ここから入る客は前を押さえ
「田舎ものでござい。冷えものでござい。御免なさい。」などと声を発して湯船に浸かった。なかの人も「ここにいるよ」と声をかける。そうしないと、間違って踏みつけられるなどという事故も始終起こった。
『浮世風呂』では、熱湯好きとぬる湯好きの間で口論が起きる。ぬる湯好きが、羽目板をトントンとたたき、「うめねえか、うめねえか、あついぞ、あついぞ」とどなれば、別の男が「うめるな、うめるな、水になるぞ」と叫ぶ。こんな風に江戸の銭湯は、朝から景気のよいことであった。
あつ湯をがまんしていると、つい清盛が思い浮かぶ。
清盛さまは火の病
われらは悋気で気の病
とつまらない歌を歌うものもいる。そこで「湯屋の歌あかにぬけない声ばかり」というようなことになる。