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常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

モロヘイヤのサラダ

2013年09月10日 | 日記


さっと湯がいたモロヘイヤにミニトマトを加えたサラダ。夏野菜の終わりに一番おいしいサラダが完成。その後に朝取りのオクラを入れて、夏野菜に感謝しながらお別れの時期にきた。畑には聖護院ダイコンとフェンネルにディル、ややハーブに偏った秋の種を蒔いた。

枝豆の花が終わり、小さな実がついている。収穫までには、あと20日か。畑をつくることの魅力は、その素材をどうやれば有効に利用できるかまで考えることである。一番、おいしく身体にもいい状態で、作った野菜を利用することが大事なことだ。
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石榴

2013年09月10日 | 日記


石榴の実が色づいて大きくなった。八百屋に並ぶ石榴は、輸入したものでこちらはさらに大きい。1個500円と高価だが、石榴酒にするにはもってこいだ。3個ほども買って、焼酎に漬け込んでおくと特性の果実酒ができる。庭に生った石榴は、もっと熟すると裂けて、なかから赤い種皮に覆われた種がこぼれ出る。鳥がこれを食べて、子苗が別の場所で育つ。

知人で娘が国際結婚をした人がいるが、先方からきた婿さんが石榴が好きで、生食で食べたという話を聞いた。日本では、実は果実酒にするくらいで、あまり生食で用いないようだ。それでも、石榴の栽培の歴史は古く、かっては生で食べられたという。

ひやびやと日のさしてゐる石榴かな 安住  敦

江戸の銭湯に石榴口というものがあった。湯が冷めるのを防ぐために、湯船の前を板で覆った。人は板の下の隙間から身を屈めて、湯船に入る仕組みであった。当時、石榴で作った酢で鏡を磨いたことから、屈み入ると鏡要るの語呂合わせでこう呼ばれたという。

石榴口が設けられたのは、風呂の入浴客の多さが理由であった。大勢の人が、引き戸をを開けたり閉めたりするのは面倒である。なかには開けたまま出ていく人もある。そこで、一方の引き戸は閉めきり、もう一方は1メートルほどの石榴口にして、ここを屈んで入るようにした。内部は湯気と薄暗い灯のみだから、出入りするには流儀があった。

ここから入る客は前を押さえ
「田舎ものでござい。冷えものでござい。御免なさい。」などと声を発して湯船に浸かった。なかの人も「ここにいるよ」と声をかける。そうしないと、間違って踏みつけられるなどという事故も始終起こった。

『浮世風呂』では、熱湯好きとぬる湯好きの間で口論が起きる。ぬる湯好きが、羽目板をトントンとたたき、「うめねえか、うめねえか、あついぞ、あついぞ」とどなれば、別の男が「うめるな、うめるな、水になるぞ」と叫ぶ。こんな風に江戸の銭湯は、朝から景気のよいことであった。

あつ湯をがまんしていると、つい清盛が思い浮かぶ。
 清盛さまは火の病
  われらは悋気で気の病
とつまらない歌を歌うものもいる。そこで「湯屋の歌あかにぬけない声ばかり」というようなことになる。

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