久しぶりの秋晴れ。清々しい朝の風に吹かれて散歩する。稲の穂が垂れ、色がつき始めている。こんな風景を見て癒されるのは、今年も稲が稔ったことでの安堵感であろうか。自分の田でもないのに、田圃の風景は日本人の心を癒す。
稲熟れてゆふべをともす灯も黄なる 相生垣瓜人
北海道で田が広がっていったのは、昭和30年台以降である。これは稲の品種改良によるものであった。稲が亜熱帯の作物であるのに、寒い北海道で稲を作るのはそもそもが無理なことであった。黍や馬鈴薯、畜産が主流であったが、稲を植えることは農家の夢であった。姉の嫁いだ家では、義兄が田作りに熱心であった。広い田をトラクターに乗って田植をする義兄の姿には誇らしげな気が漲っていた。
だが、冷害が幾たび義兄の田を襲ったであろうか。品種改良は、北海道の農家には悲願であった。近年においては、気候の温暖化が北海道の稲作りの背を押している。新潟米がおいしい米の代表であったが、いまや北海道の米がその座を奪いつつある。
朝の冷たい空気が柿の葉を染め上げる。この複雑な秋の色は、まさに自然の配剤である。人工色でこの色を出そうとしても難しい。デジカメの色がすでに、赤がまさって柿の葉の色を出しえていない。
柿紅葉地に敷き天に柿赤し 松本たかし
柿の木をよく見ると、青い葉のなかにまだ青柿の実が生っていた。柿紅葉が散る季節になっってようやく柿が色づく。