数年前から、自宅の風呂に入らずに、銭湯のような日帰り温泉に通っている。一回100円なので100円風呂とも言っている。60歳を過ぎた老人向けの温泉である。この温泉の方が、格段にあったまり効果があり、一日の終わりをリラックスできる。顔見知りになった風呂仲間からいろんな話を聞けるし、自分で作った野菜をプレゼントしあったりする。コミュニケーションも取れて、老人の孤独解消もできるようだ。
銭湯は昭和30年代は当たり前で、結婚しても子供が出来る前は、銭湯に通った。北海道でも高校時代に深川の銭湯に行ったことの記憶は今も鮮明だ。冬の7時ころ、夕飯を終わって歩いて10分ほどの銭湯に行ったが、帰り道身体はぽかぽかと温かくなっていたが、手に持ったタオルは5分もしないうちに凍り、絞ったタオルをなっすぐにしていると、棒のような凍ったタオルになった。身体からはもうもうと湯気が上がっていた。
湯泥棒羽衣ほどに下女嘆く
江戸の湯屋は、庶民になくてはならぬものであったが、ここで泥棒を働く悪もしばしば現われた。衣類が貴重であった江戸時代、これに会うと大きな損失であった。常習犯は単などの薄着を着用し、これを置いて袷などを着て何くわぬ顔で出て行く。番台の高座にいるものだけでは、この犯罪を防ぎ切れないので板間に助手を置いて監視した。
江戸の昔だけではない。昭和27年の新聞にこんな記事が載っている。
「文京区春木町の武田時計屋に金時計を売りに来た男の様子がおかしいので通報して、本富士署に捕まった。台東区浅草に住む店員で、調べで男は「浅草のダンスホール拾った質札で、質屋から出した品物だ」と供述した。同署で調べたところ、質札は台東区厩橋にすむ吉田千穂子のものと分った。さらに調べていくと、千穂子は板の間稼ぎ夜の女のふたまた稼業。その時計も先月、日本橋横山の銭湯で盗み、4千円で質入したもの。ところがその晩、浅草の安宿に連れ込んだお客に、質札ごとハンドバックを盗まれた。この男が、金時計を売りにきた男であったので、どちらも窃盗罪で仲良く御用。」
こんな風に江戸の悪しき伝統は、戦後の貧しい時代にそっくりと引き継がれていた。日本経済が高度成長を見せた、昭和40年代に入ると、銭湯は街角から次第に姿を消して行った。