常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

復興節

2014年03月12日 | 日記


3.11東日本大震災の復興は重い課題である。3年経って瓦礫がようやく片付いたような状況で、本格的に復興に至るには長い道のりが必要と思える。大正12年9月1日の関東大震災のときも、復興構想は大規模であったが、構想を実現するには長い年月を要し、その全体が実現されたわけではない。瓦礫の東京の街には演歌師が出て、「復興節」を唄った。今はテレビの映像で、被災地への応援を行うが、テレビの無い時代の手法であった。一名「エーゾ節」とも言われた。

一 家は焼けても江戸っ子の
  意気は消えない見ておくれ
  アラマ オヤマ
  忽ち並んだバラックに
  夜は寝ながら
  お月様眺めてエーゾ エーゾ
  帝都復興エーゾ エーゾ

二 田舎の父さん火事見舞い
  やって来て上野の山で吃驚腰抜かし
  アラマ オヤマ
  こいつはたまげた早いもの
  焼けたか焼けねえのか
  どちらを向いても屋根ばかり
  帝都復興エーゾ エーゾ

関東大震災では、焼けた家を建てることが復興の第一義であったのであろう。いまでいえば
仮設住宅を立ち並ぶのを見て、復興の様を演歌に唄った。

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なごり雪

2014年03月12日 | 日記


10時過ぎまで、大粒のぼたん雪がふんわりと落ち続けた。この春のなごり雪らしい。小林一茶に、郷里のなごり雪を詠んだ句がある。文化後期は一茶が48歳から55歳のとき。句作に洗練を見せ、9年間で7千を越える句作を残した。一年あたり800句を詠んだことになる。52歳にして若い妻を娶り、郷里にあって句作の本格的指導にあたった時期であった。一茶がその生涯で最も充実した時期に詠まれた。

むまさうな雪がふうはりふうはりと 一茶

こんなぼたん雪を見て思い出すのは、いるかの「なごり雪」だ。カーラジオからこの歌が聞こえると、思わず速度を落としてこの歌に聴き入った。

汽車を待つ君の横で僕は
時計を気にしてる
季節はずれの雪が降ってる
東京で見る雪はこれが最後ねと
さみしそうに君はつぶやく
なごり雪も降る時を知り
ふざけすぎた季節のあとで
今春がきて君はきれいになった
去年よりずっときれいになった

ふざけ過ぎた季節とは、今年の2月半ばからこの3月上旬を言うのではないか。春なのにあまりに寒く、日の光が届かない日々であった。その季節も、ようやく春になろうとしている。



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