3.11東日本大震災の復興は重い課題である。3年経って瓦礫がようやく片付いたような状況で、本格的に復興に至るには長い道のりが必要と思える。大正12年9月1日の関東大震災のときも、復興構想は大規模であったが、構想を実現するには長い年月を要し、その全体が実現されたわけではない。瓦礫の東京の街には演歌師が出て、「復興節」を唄った。今はテレビの映像で、被災地への応援を行うが、テレビの無い時代の手法であった。一名「エーゾ節」とも言われた。
一 家は焼けても江戸っ子の
意気は消えない見ておくれ
アラマ オヤマ
忽ち並んだバラックに
夜は寝ながら
お月様眺めてエーゾ エーゾ
帝都復興エーゾ エーゾ
二 田舎の父さん火事見舞い
やって来て上野の山で吃驚腰抜かし
アラマ オヤマ
こいつはたまげた早いもの
焼けたか焼けねえのか
どちらを向いても屋根ばかり
帝都復興エーゾ エーゾ
関東大震災では、焼けた家を建てることが復興の第一義であったのであろう。いまでいえば
仮設住宅を立ち並ぶのを見て、復興の様を演歌に唄った。
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