常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

馬耳東風

2014年03月14日 | 日記


きのうまでの空は、今日すっかり変わった。雲があるのに、ベランダから見る三吉山は手に届くように見える。上空の空気がすっかり入れかわったようだ。南岸を北上する低気圧もさほどの影響がないようであるる。春がいよいよ目の前にきたが、わが家では暗い出来事に見舞われる。この月、95歳の誕生日を迎えたばかりの義母の体調が思わしくない。2週間ほど前に、滅多にひかない風邪をひき、微熱が出る。風邪薬でなんとか風邪は治ったようだが、今度は便秘になる。便秘は食欲を減退させ、一気に体調を崩す。

病院嫌いな義母がはじめて自ら望んで入院となる。検査の結果、どこにも病変は見られない。点滴をすると見る見る元気を取り戻す。それにしても95歳という高齢は、予想を超えた体力低下が急速にやってくる。少しでも油断をすると、いつ死がきても不思議ではない。何を言ってもまともな返事はない。薬は飲むのを見ていなければけして飲まない。馬耳東風、こちらの気持ちは伝わらないとあきらめの気持ちになる。だが元気をとり戻すと、ベッドからやおら身を起こし頭を下げて礼を述べる。

東風とは春風のことだ。馬耳東風とは、馬の耳が唐風の吹かれても一向に感じないように人の意見を無視することである。老人へ語ることを馬耳東風と考えてはいけないことの今更気づいた。思考力が衰え、聴力が衰え、話すこすらままならない老人が考えることが馬の耳とこれほど違うのか。春の気配は、目も耳も覚ましてくれる。


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コメント (2)
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