常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

黄砂

2014年03月22日 | 日記


晴れていても、空が少し霞んだなと感じたら、南風の乗った黄砂が飛来している。春先は、花粉と黄砂が原因で花粉症になる人が多い。街を歩く多くの人がマスクをかけてPM2.5や花粉を避けている。昭和40年頃の経験だが、勤め先で水戸へ転勤したことがあった。仕事は外勤で、足はバイクであった。春先、風が出ると、前が見えないほど砂埃が舞い上がった。水戸の土地がローム層に覆われていて、乾燥と風でまるで黄砂のような砂埃に見舞われた記憶がある。目に砂が入り、目蓋が腫れあがり、眼科へよく通ったものだ。

江戸から明治にかけて、東京の土埃も有名であった。もうもうと上がる土埃は、しばしば火事と間違われ、街中の人が逃げ出したり、消化組がバケツを持って集まってきたりした。若月紫蘭は『東京年中行事』に、東京の土埃について書いている。

「1年中いつでも雨が晴れて2、3時間経つや経たぬに、東京の街路はもうからりと乾いてしまって、直ぐにもうもうたるほこりが天地を閉じこめて、風に向ってほとんど一歩も歩めないというのが常であるが、中にも桜の頃になるとほこりは一層に甚だしくなって、障子を閉め切ってある家の中と云わず、電車の中と云わず、ほとんどほこりだらけで、それはそれは至って心持の悪いものであるということは、足未だ都の地を踏まぬものに取ってはほとんど想像の外である」

こうした土地に大雨が降ると、泥濘に足駄を取られ、脛までズブズブ、田だか沼だかわからぬことも珍しいことではなかった。漱石の『それから』が映画になったが、そのなかでも道が川のぬかるみのようになっていた場面が描かれていた。今ではコンクリートやアスファルトで固めら、市街ではもはや土埃の被害はなくなったが、想像を超える高温のため、クーラーのない生活は考えられない。室内のお年寄りが熱中症で救急搬送されることがめっきりと増えている。

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コメント (2)
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