義母の入院した病院は山形市の小白川にある。近くには山大の小白川キャンパスがある。病院へ義母をの様子を見に行ったついでに、キャンパスに行ってみた。このキャンパスに足を踏み入れたのは、昭和34年のことである。当時殆どが木造の校舎であったが、すっかり鉄筋コンクリートの校舎に建て変わっていた。正門から入った銀杏並木も当時ものもあるようだが、若い木が植えられているような気がする。
学寮も取り壊されて、跡地には鉄筋の校舎がずらりと建ち並ぶ。その前に桜の古木が2本、枝に支柱をして残っていた。この木こそ学寮の南側にあった桜に違いない。昭和34年の9月、伊勢湾台風が北上して山形も強風が吹き荒れた。その時桜の木が2、3本風で吹き倒された。台風に耐えて生き残った桜であろう。ほかにトネリコの木が少し、台地に残っていた。
山形に季刊の情報誌『街角』というのがある。先ごろ発刊された春号に「山形大学」の特集が組まれた。結城学長の対談や大学の現在の姿を紹介しているが、昭和時代の回想も入っている。求められて学寮が参加した仮装行列の思い出を書いた。題して「パンドラの箱」。これは学寮の仮装行列が掲げたテーマである。その当時から50年以上の歳月が流れた。キャンパス付近を散策しても、当時を回想させる建物や店なども殆どが姿を消している。わずかに食堂とリヤカーを借りに行った自転車店が残っているのみであった。
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