常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

しゃが

2014年05月13日 | 


散歩道の林のなかにしゃがの花が群生している。このあやめに似た花は、よく見ると複雑なデザインを組み合わせていて、薄紫の斑はいかにも清楚な感じを与える。この花を写真に収めようと何度も試みたがその美を写し取ることに失敗していた。今回の撮影でようやくその長年の望みが遂げられたような気がする。

この花の名はスウェーデンの植物学者ツュンベリーの命名による。安永4年7月(1775)に長崎の来て一年半ほど滞在、この間長崎周辺で植物採集を日課とし、オランダ商館長の江戸参府に随行して、その道中でも植物を観察、採集し、『日本植物誌』を著した。ツュンベリーが命名した日本の植物で、いまも生き続けているものが300種もあるという。

筍に括り添えたるしゃがの花 几董

日当たりのよい斜面にわらび、独活が出るころ、日当たりがわるくじめじめとした薄くらいところに群れ咲くのがしゃがの花だ。一番初めにこの花の名を教えたのは妻である。妻もこの花を愛していて、この花の咲く頃、連れ立ってお寺の境内に出かけたものだ。注意深く散歩の路傍を見ていると、ひっそりと咲いているしゃがに行き会う。


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2014年05月13日 | 日記


タケノコは竹冠に旬と書く。頭を出して十日ほど経つと竹になるという意味であるらしい。芸工大の裏山の竹林にタケノコが頭を出したのは、ほんの一週間ほど前であるから、もうかなり伸びているであろう。タケノコは地下茎を伸ばして繁殖するから、昔から色々と珍事が起きた。自家の竹林の筍が隣家に出て、無断で採って食べたので、隣合った武士同士で争いが起きた。竹林の主人が隣家に苦情を言ったところ、「黙って顔を出したので、成敗いたした。着ていた衣だけはお返しいたそう」と皮だけを返した隣家の機転が勝った。

現代の民法では、自分の土地に出てきた筍は採っていいが、垣根越しに枝を伸ばした隣家の果物は採ってはいけないことになっている。今年はもう地物が出回る季節であるが、静岡にいる妹のおかげで、新鮮な筍を2度味わうことができた。身欠きニシンとの焚き合わせ、タケノコご飯、タケノコ汁。どれも旬の味覚だ。中国にはタケノコを焼いて食べるらしいが、壇一雄が「タケノコの竹林焼き」というのを「檀流クッキング」で紹介している。尻から芯をくり抜き、そこへ醤油をたらしこみニンジンで栓をして、焚き火の熱くなった灰で焼く。タケノコは焼いてもおいしいようだ。

孟宗竹の孟宗は呉の高官だった人で、親孝行な人物として伝説的な人である。病気の母が、冬の日にタケノコを食べたいというで、竹林に入ってみたが、もちろんタケノコが出ているはずもなく途方に暮れていると、孝行の威徳が天を動かし突然タケノコが出てきたという。お伽草紙の「二十四孝」に収められて広く知られるようになった。

雨を聴く竹の子の皮剥きながら 安住 敦



光禅寺の庭園の牡丹も満開を過ぎ、最後の美を競うかのようにみごとだ。春から夏へと気候は移るが、野菜たちのために慈雨があることを祈る。


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