常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

躑躅

2014年05月16日 | 日記


散歩をしていて気づいたことだが、古い農家などの大きな家には大きな花がある。古い家の歴史は、花木の成長がその長さを語っている。この写真の躑躅も大きく枝を伸ばし、家が隠れるほどである。朝日がさして、花の先端が光を受けて輝いている。躑躅は難しい漢字だがツツジだ。馬琴は俳諧歳時記に、「羊、この花をくらへば躑躅(てきちょく)して斃れ死す。故にしか云ふ」と解説している。

江戸の京都では東山ののべに、酒や弁当を携え、人々は誘い合って躑躅の花見にでかけた。
「賀茂の山辺にに日をくらして、白き赤き紫の、いろいろ手折りてかざせる」と北村季吟は京洛のツツジ見を『山乃井』に書き留めている。

裾山の虹吐くあとの夕つつじ 芭蕉



つつじ咲て片山里の飯白し 蕪村


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アマリリス

2014年05月16日 | 


室内にあるアマリリスの鉢に、赤ん坊の顔ほどの大きさの花が三輪咲いた。毎年、この時期になると、大きな花が微笑みかけてくる。もう5年も前に亡くなった玉ちゃんからいただいた鉢である。玉ちゃんは産婆さんとして、80歳まで産婦人科で働いていた。

産婦人科を辞めて時間ができて、我が家に遊びにくるようになった。若いころからずっと働き通しであったが、家庭的には恵まれなかった。1人息子を女手ひとつで育て上げたが、その息子から疎んじられた。母の生き方を認めなかったのである。自分が建てた家を出て、ひとり老人ホームで最後の時間を送った。そのホームには温泉があったので、妻と温泉にいきながら、老人ホームに入所している玉ちゃんに会った。

ホームの食堂からうどんを取ってご馳走してくれた。うどんを啜りながら、玉ちゃんの話を聞いた。胃に癌ができて手術したこと。教会の牧師さんの家へ話を聞きに毎週行くこと、息子夫婦と暮らしたころの、子どもたちの仕打ちなどなど。玉ちゃんは死を恐れる気配はなかった。淡々とホームの生活を楽しんでいる風であった。ひとりの女性の生き様を隠すことなく話した。私たちは聞き役であった。話をすることで、玉ちゃんは自分の生きていることを実感しているようであった。

ある年、玉ちゃんはそのホームを退所した。何も連絡がなく、どうしたのか気にしていたが、病院で静かに息を引き取っていた。彼女の残してくれたアマリリスが、今年も元気いっぱいに咲いている。

アマリリス月のなき夜をふかねむり 柴田白葉女


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