常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

石竹

2014年05月22日 | 


ナデシコ科の石竹は、一見ナデシコと見間違うような可憐な5弁花をつける。庭の花畑を賑わせる初夏の花である。朝の散歩でこの花に出会うと何か元気をもらったような気分になる。昨日から続いた雨は夕方になってようやく上がる気配をみせている。

石竹やおん母小さくなりにけり 石田 波郷

義母はすっかり小さくなって、蒲団の中で寝ていることが多くなった。朝、義母のためにしつらえた一日の弁当を持っていくと、ベッドで起き上がり、うれしそうに起き上がり「うまいなあ」という言葉を連発する。テレビをあまり見なくなり、CDの島倉千代子の歌を聞きながら食べる姿を見ると、年を取ることの現実に触れている感に打たれる。

黒沢温泉ゆさで、詩吟の合吟祝勝会が開かれた。一晩雨の音を聞きながらではあるが、優勝したチームのメンバーの晴れやかな姿が印象的であった。詩吟を始めて20年を過ぎたが、その奥は深く、学べば学ぶほどその難しさに打ち当る。サッカー女子「ナデシコジャパン」が今夜決勝進出をかけて中国とたたかう。健闘を祈る。


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をだまき

2014年05月22日 | 斉藤茂吉


雨にぬれたおだまきの花は、紫が濃く一層美しい。斉藤茂吉の第一歌集『赤光』の初版には連作「をさな妻」のなかに、おだまきを詠んだ歌が入っている。

おだまきの咲きし頃よりくれなゐにゆららに落つる太陽(ひ)こそ見にけれ 茂吉

『赤光』が刊行されたのは、大正2年10月15日のことである。明治38年から大正2年に詠んだ歌を集めたものだが、この間おひろとの離別、生母の死、師伊藤左千夫と身辺に悲しいできごとが起きた。『赤光』は、巻頭に師の死を悼む連作「悲報来」を収め、母の死を詠んだ「死にたまふ母」は読む者へ大きな感動を与えた。

死に近き母が目に寄りおだまきの花咲きたりといひにけるかも 茂吉

茂吉の母おだまきを愛し、庭の隅におだまきのを育て、春が来てその花が咲くのを楽しみにしていた。茂吉は今朝咲いたをだまきのことを、床に就いている母の枕辺で告げた。

この二つの悲しい死別に加えて恋人おひろとの別離を詠んだ連作「おひろ」がある。この連作によって生命の持つ叙情性が高められ、『赤光』は歌壇ばかりでなく文壇へも大きな反響を呼び起こした。

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