
桐材を商っていたIさんが亡くなった。膀胱にできた癌を繰り返し手術で取っていたが、先月入院してついに帰らぬ人となった。私が借りている農地の地主さんでもある。曲りなりに野菜作りができたのも実にIさんのお蔭であった。除草と水遣り、そして肥料をたっぷりと施さなければいけないことを実地で教えてくれた。Iさんは、私の名を君付けで呼んでくれた。
「I君、俺の畑を見てみろ。水遣りと肥料をやれば、里芋がこんなに大きくなる。I君のは肥料をケチっているんだよ。」少しでも畑を空けておくと、すぐに苗を持ってきて、「これを植えてみな。秋にはおいしい実がなるから」。炎天下に、しぼんだ野菜に水をやりに行くと、褒めてくれた。「頑張るなあ。I君ぐらい一所懸命な人はいない」梅雨時には、草の勢いに負けていると、「草取りしないと、野菜は育たないよ。」Iさんの言葉には、穴があれば入りたいほどなのだが、いつも愛情を感じていた。
近くの市営住宅の空き地に大きな桐の木がある。いつも山のなかで遠くに咲く桐の花を眺めていたが、こんなに近くで桐の花を見るのは初めてだ。Iさんの死を悼んで、桐が枝いっぱいに花を咲かせたような気がする。
墓濡れて桐咲くほどの地温あり 飯田 蛇笏
