常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

鶏頭

2014年09月09日 | 


鶏頭は真紅の花なので遠くからその存在を確認できる。鶏冠の花にに見える部分は茎が変化したもので、本当の花はそのかげで咲いている小さなものであるらしい。その花も実に赤く、朝夕の寒さがますといっそうその赤は深まっていくように感じる。夕焼けの赤い空を太陽が流す血に例えたの、ボードレールだが、その血が凝固してしずくとなって地上に落ちたのが鶏頭の紅であるように思える。

鶏頭や雁の来るとき猶赤し 芭蕉

庭の片隅にこの鶏頭の赤が咲くとき、秋が来たのを実感する。自宅の病床から正岡子規は、病の苦しさと闘いながら、鶏頭を眺めていた。秋が来て寒い冬をその先に見ていたのであろうか。

鶏頭の狼藉として時雨かな 子規

この句を詠んでから2年、病床で苦しい日々を日記に書き残した。「病勢ハゲシク苦痛ツノルニ従ヒ我思フ通リニナラヌタメ絶エズ癇癪ヲ起シ人ヲ叱ス。家人恐レテ近ズカズ」そうしたなかで、俳句を詠み、和歌を作り、日記は新聞に連載した。

絶命する日子規は、妹の律に色紙を持たせて辞世の句を書いた。明治34年9月17日、子規36歳の秋であった。

糸瓜咲いて痰のつまりし仏かな 子規


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