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紫の色は奥ゆかしい。秋のキノコには紫シメジなどおいしいものがあるが、木の実で紫の実をつけるのは珍しい。この実に平安朝の紫式部の名をつけたのは、いかにも日本古来の伝統に根付いたものであると言えよう。紫草というものがある。古代ではこの草を栽培し、根を乾燥させて薬用にしたり、染料に用いた。紫の衣服を着用することは貴人であることの証でもあった。
あかねさす 紫野行き 標目行き 野守は見ずや 君が袖振る 額田王
紫野には、この大切な紫草が栽培されていた。そのために関係のない他人が入らないように標紐を張った。それが標目である。他人や動物の侵入を見張る番人である野守が目を光らせている。
この歌は標目がキーワードになっている。人妻である私に袖を振ったりして、野守も咎めて見ているわよ、と注意している。標目は、私が人妻であるので、気を寄せてはいけないという禁止と紫草の畑で入ってはいけないとの二つの意味がかけられている。
額田王の歌に返したのは、夫の天武天皇であった。
紫野の にほへる妹を 憎くあらば 人妻ゆゑに 我れ恋ひめやも 天武天皇
こんなユーモラスで恋の掛け合いを歌ったのは、初期万葉の特徴である。その歌のなかで、紫の色が持つ意味は、大きなものがあった。
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