朝の散歩で紅葉している柿の葉を見つけた。まだ柿の見は青く、葉もほとんどが青い。そんななかに、日当たりのせいか分からないが、紅葉した美しい葉があった。朝夕の気温が下がって、日中との気温差がおおきくなったためであろう。それにしても、自然が作り出す色の美しさにあらためて驚かされる。落葉した柿の葉を集めて、料理の飾りに使った料理屋があったことを思い出す。
あと先に人声遠し柿紅葉 暁台
O・ヘンリーの短編に『最後の一葉』というのがある。ワシントンの「芸術家の村」の住人である若い娘のジョンジーが肺炎に犯された。病状は日々に悪化し、窓から見える蔦の葉を数えながら、その葉がすべて散り終わったとき、自分の命がなくなるときと思い込んでいた。アトリエの共有者の親友はジョンジーの思い込みを忘れさせようと窓のカーテンを閉めるが、ジョンジーは葉を数えることを止めない。窓の外には雪をまじえた北風がひっきりなしに吹きつける。6枚、5枚、4枚。蔦の葉はどんどん少なくなっていく。
そして数日後、葉はとうとう一枚だけになってしまった。ジョンジーは、「最後の一葉ね。この葉がなくなれば私の命もないわ。」そう言って目をつぶった。翌朝、親友が外の風景を見せたくないのでカーテンを閉め切っていたが、ジョンジーはどうしても見ると言う。しかたなくカーテンを開けると、最後の一葉は枝にしがみついて落ちていない。次の日も親友との同じやりとりが続いた。奇跡なのか、最後の一葉はなお落ちていない。その後、数日同じやりとりと結果が続いて、ジョンジーの病は次第に快方に向かい、医師からももう大丈夫と太鼓判をもらった。
親友がジョンジーに告げた。「ねえ、絵描き仲間のベアマンさんが、昨日肺炎で亡くなったのよ。患ってたった二日よ。彼北風の吹く冷たい夜、梯子に登ってあそこの壁に、蔦の葉を描いたのよ。あの葉、風が吹いてもゆれないでしょ。彼が描いてのよ。それが原因で肺炎をわずらったそうよ。」
柿の紅葉を見ながら、『最後の一葉』のストーリーをふと思い出していた。
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