常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

朝の光

2014年09月15日 | 読書


午前4時半ごろ、ふと目が覚めて、窓から外をを覗いた。日が山の端から昇るほんの少し前の空はばら色を撒き散らしたように見えた。こんな光を見ることは、一年でも幾日もない。遠くの山は朝靄に霞んで微妙な遠近感を見せている。カメラを手に、非常階段へそっと登る。写った映像は少しは雰囲気を出しているが、目で見た感動には遠く及ばない。

イギリスの小説家ギッシングに『ヘンリ・ライクロフトの私記』という作品がある。ライクロフトは南イングランドの片田舎に隠棲して四季の移り変わりを楽しみながら余生を思索にふけりながら死んでいった。主人公はギッシングが創りだした想像の人物である。何故この小説を青春時代に読むことになったのか、今では記憶に残っていない。この小説を理解するには多くの人生経験を必要とする。この年になって、やっと腑に落ちる内容になっている。

主人公は夏の朝の時間をこんな風に書いている。
「私は4時少しすぎに目がさめた。よろい戸には日光が、─いつもダンテの天使たちをおもわせる、あの黎明時のすみきった黄金色の光が、当っていた。夢一つ見ることもなく、いつになくよく眠ったし、体中に休息の恵みを感じた。頭ははっきりしており、脈は順調にうっていた。こうやってしばらく横になったまま、枕もとにある本棚から、どの本を取ろうかなと思っているうち、ひとつ起き上がって、早朝の外気にふれたい気持ちがわき起こった。たちまち私はがばっと起きた。よろい戸をあけ、窓をあけると、いよいよ外に出たい気持ちが強くなった。私はまもなく庭にで、さらに道路にで、いい気持ちになってあてどなく歩きだした。」

ライクロフトのこんな朝の気持ちは、今の私にこそぴったりとくる感じだ。カメラを手にしてあてどなく歩き、きれいだと思ったものを写し取るという作業をしているが、100年以上も前のイギリスの四季や自然が目の前に、手に触れるように見せてくれる得がたい小説である。

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コメント (2)
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