吟詠第二部出吟した吟士は15名。吟題「海南行」が8名、「花朝澱江を下る」4名、「山間の秋夜」2名、「桜祠に遊ぶ」1名であった。この部の出吟者は、声の張り、節調、吟の味などで他の部から抜き出ていたと感じられた。
多くの吟士が細川頼之の「海南行」を選んだのはどのような理由であろうか。細川頼之といえば南北朝時代の武将である。室町幕府の管領となり、幼少であった3代将軍足利義満を補佐した。しかし、頼之を妬んで追い落とそうる政敵もあり、失脚して僧籍に入る。後に許されて復権するが、漢詩「海南行」は、その失脚時代の心境を詠んだものであろう。
人生五十功無きを愧ず
花木春過ぎて夏已に中ばなり
満室の蒼蠅掃えども去り難し
起って禅榻を尋ねて清風に臥せん
満室の蒼蠅などと言葉にしてしまえば、すこしばかり鬱陶しいような表現であるが、幕府のなかに渦巻いている政敵の振舞いを見て頼之が僧門に心を寄せるのは、時代背景を考えるとまことにむべなるかなである。優勝は俣岡文明氏、2位の草島和夫氏のお二人が東北大会へ挑戦することになった。
今回のコンクールでも、小中学生や青年の部のでも出吟があり、井上文人君の東北大会への出吟が決まった。