陶淵明が「帰去来の辞」を書いて、廬山の麓の園田に帰るは、406年42歳のときである。詩に若いころから、人と調子を合わせて交際することができず、鳥が旧林を求め、魚が故淵を求めるように自分も園田の居に帰ってきたと吐露している。
荒を南野の際に開かんとし、
拙を守って園田に帰る
漱石もこの詩に共感を覚え、「木瓜咲くや漱石拙を守るべく」の句を詠んだ。淵明はこの園田の地の穢れて雑草が生い茂るなかを、甥や姪を連れて、足を踏み入れてみた。墓地のなかに、旧跡の家があり、竹や桑のも株となって残っていた。その荒野を拓いて、淵明が豆を植えた様子を詩に書いている。
其の三
豆を植う南山の下、
草盛んにして豆苗稀なり。
晨に興きて荒穢を理め、
月を帯び鍬を荷って帰る。
道狭くして草木長び、
夕露我が衣を沾らす。
衣の沾るるは惜しむに足らず、
但だ願いをして違うこと無からしめよ。
雑草を取るために、朝の星のあるうちに家を出、仕事を終えて家路につく頃には月が出ている。そんな苦労にも、願いはひとつ植えた豆が無事に成長することだけだ。猫の額のような畑を耕している身にも、陶淵明の心が痛いほど分かる。きのう撒いた種に、夕べから恵みの雨が降り注いでいる。きのう確認したが、一番はやく撒いたズッキーニが芽を出した。家で芽だししたものをその列に定植した。無事に成長してくれることを願うばかりだ。