福田蘭堂
笛吹童子 尺八
福田蘭堂という作曲家がいた。明治38年画家の青木繁の第一子として生まれるが、母の福田たねは同じ画塾で学ぶ画学生であったが結婚して籍を入れることはなかった。父は2歳の蘭堂を残して家を去り、母も父を追って九州へと家を出た。翌年、父は肺結核のため28歳の若さでこの世を去った。そのため蘭堂は、母の弟として届けられ、教師であった祖父に養育され父母を知らずに育った。13歳の時に上京、たまたま同郷の知人の家にあった尺八に興味を持ち、琴古流の師範に師事し尺八の奏者へと進み、修行して尺八の師範となった。
父の青木繁は不遇の画家であった。19世紀イギリス絵画の影響を受け、古事記を愛読してそのモチーフは神話によるものが多かった。代表作に「海の幸」「わだつみのいろこの宮」「黄泉比良坂」などがある。その絵が認められたのは、死後のことである。蘭堂は尺八の奏者として活躍するかたわら、ピアノやフルートを学び、やがて作曲を手掛けるようになる。ラジオの放送が始まるとドラマ「笛吹童子」のオープニングの曲を作曲し、一躍国民に知られる作曲家となった。
私の本棚には福田蘭堂の書いた随筆『志田直哉先生の台所』という文庫本がある。尺八や作曲の仕事のかたわら、料理や釣りを趣味として、戦後まもなくの時代、多くの作家と交流があった。中でも志賀直哉とは仲がよく、猟銃で撃った野鳥や釣った魚を持参して、食料のない時代、志賀直哉の食欲を満たした。
そんな二人の交流を、志賀直哉は『山鳩』という短編に書いている。志賀は熱海の大洞台の山荘に住んでいたが、そこで目にするのは、いつもつがいの二羽で飛ぶ山鳩であった。その二羽のうち一羽を蘭堂が仕留め、それは調理されてすでに志賀の腹に収まっていた。
「翌日山鳩が一羽だけで飛んでいるのを見た。山鳩の飛び方は妙に気忙しい感じがする。一羽が先に飛び、四五間あとから、他の一羽が遅れじと一生懸命に随いて行く。毎日それを見ていたのだが、今はそれが一羽になり、一羽で日に何度となく私の目の前を行ったり来たりした。(中略)幾月かの間、見て馴染になった夫婦の山鳩が、一羽で飛んでいるのを見ると余りいい気持ちがしなかった。」
そんな志賀の気持ちに、蘭堂は「そんなに気になるのでしたら、残った方も片づけてあげましょうか。」などと、平然と言った。鳥にとっては恐ろしい男だと志賀は書いている。そんな蘭堂が、結婚詐欺事件を起こしている。7人もの女性を誘惑して金を借り、別れるということを繰りかえし、訴えられえて逮捕された。映画の撮影では、主演女優を強姦するという事件を起こし、監督から「責任を取れ」といわれ、妻と離婚し、その女優と結婚をしている。鳥だけでなく世の女性にとっても恐ろしい男であった。今の時代では、想像もできないような時代であった。クレイジーキャッツの石橋エータローは、このとき別れた妻との間の子である。