春に花を楽しませてくれた桜は、葉が茂り、実が熟し始めた。食べものがなかった少年時代、木に登って、この実を食べたことがある。少しは甘いが、苦みが勝っていておいしいものではなかった。木の実は、懐かしい。口のまわりを黒くして食べた桑の実、熟するのが待ち遠しいグスベリやコクワ。グミも食べて美味しかった。秋に山に入ると、グミを見分けて食べる人がいるが、こういうものを見つけるのも、自然を遊び場として育った年代ならではの知恵だ。
来てみれば夕べの桜実となりぬ 蕪村
アルフィーに『桜の実の熟する時』いうシングルがある。
思えば他愛もない
揺れる心 すれ違い
今ならばお互いに
些細な嘘も許し合える
桜の実の熟する時
もう一度やり直したい
ほろ苦い失恋の歌だが、島崎藤村にも同名の小説がある。こちら、少年が年上の女性との恋愛に挫折し、関西に旅立つという甘酸っぱい青春小説である。封建制のモラルが、青年の心を縛っていた時代。藤村はそれを打ち破り、青春の恋を賛美して新しい時代の若者の生き方を提示したかったのであろう。