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畑にはキュウリ、ズッキーニの花が咲いた。シュンギク、小松菜が成長して収穫適期になった。エンドウ豆は、ここに来て終りを迎えつつある。あちこちで、タチアオイの花が咲いた。千歳山で足ならし、山中の花は終わって、小鳥のさえずりだけが聞こえてくる。少し寒気が入って、吹く風が汗ばむ肌に心地よい。雨のため2週続けて山行が中止になったので、この小登山がせめてももの繋ぎである。
しかし雨は捨てたものではない。集中豪雨で洪水や土砂崩れなどの被害は困るが、適度の雨は農作物や植物に、まして人が飲む飲料水の確保に、ぜひとも必要である。雨は、古来詩に詠まれてきた。ヴェルレーヌの『都に雨の降るごく』は、青春に愛唱した思い出の詩である。
都に雨の降るごとく わが心にも涙ふる。
心の底ににじみいる この侘しさは何ならむ。
大地に屋根に降りしきる 雨のひびきのしめやかさ。
うらさびわたる心には、おお 雨の音 雨の歌。
かなしみうれふるこの心 いはれもなくて涙ふる。
うらみの思あらばこそ ゆゑだもあらぬこのなげき。
恋も憎もあらずして いかなるゆゑにわが心
かくも悩むか知らぬこそ 悩のうちのなやみなれ。
ヴェルレーヌの生涯は波瀾に満ちたものであった。1873年7月、同じ詩人のランボーを拳銃で負傷させ、監獄へ投獄された。この詩はランボーへ捧げられたものである。獄中生活のなかで、ヴェルレーヌは、キリストへの深い信仰を得た。