常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

ストロベリームーン

2019年06月18日 | 日記

タチアオイ

昨日、満月であった。この頃、昼の月が何故か気になる。青空のなかに、日に照らされた月が、雲に同化するように浮かんでいる。夜に見る月より、懐かしい気がする。次第に丸くなっていく昼の月を、3日ほど前に見たばかりだが、昨日になって梅雨どきの満月になった。新聞にストローベリームーンという名が出ていた。初めて聞く言葉だが、アメリカインデアンが名づけたらしい。インデアンは季節ごとに満月に名を付ける。6月は、イチゴが熟する季節だから、こう名づけられたらしい。芋名月、豆名月という呼び方に似ている。この季節、海から出て来る満月が水蒸気を含んで、赤く見えるので、その場所では、いっそうふさしいネーミングになっている。

谷崎潤一郎に『月と狂言師』という短編がある。谷崎は京都の南禅寺に住んだが、隣にある聴松院というお寺を住まいにしている狂言愛好家と親しくなり、その一家が師の前で、狂言の発表をする席に招かれた。そこで一家の狂言を見、師の特別の舞いを見、夜には、酒を供され、折からの満月を一緒に見るという話である。狂言愛好家の月見は変わっている。屋根を上に舞台が作られ、それを見る席が設けてあるのだが、いよいよ月が出る頃になると、一人が吟じながら、舞台に出て踊り始める。

「何だか月が大勢の合唱に釣り出されつつしずしずと舞台へセリ上って来る感じで、その堂々たる出方は千両役者が登場するようでもある。「東遊びの数々に (繰り返し)」と山内さんの母堂が言う。「その名も月の宮人は、三五夜中の空の上・・」と大勢が謡う。「月は一つ、影は二つ、満汐の、夜の車に月を載せて・・・」「月海上に浮かんでは、兎も波を走るか・・・」月はすでに山の端を離れて池の面が輝きだした。円かな影が水に映っているばかりでなく、睡蓮の葉の一つ一つにも宿りはじめた。

戦後間もない昭和24年にこの小説は発表されている。荒廃した国土のなかに、このような風流が、生き生きと存在していたことに、深い感慨を覚える。谷崎は戦争中も、戦争にはかかわりを持たず、ひたすら日本的な耽美の世界に生き続けた。

コメント
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