常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

ブナの新緑

2013年06月08日 | 登山


この季節のブナ林の緑は、その中に足を踏み入れるものを包み込んで癒してくれる。鮭川村にある与蔵峠は、奥の深い山道である。山形市内が雨がなく、乾燥注意報が出て、畑の野菜に水遣りの心配をしなければいけないが、ここは渓谷に川が流れ、何本もの滝が流れ落ちている。それだけに、沢の水を吸い上げている木々の緑は、なんともいえない深みがある。それは、地球上に生きているものの持つ生命力を現しているように見える。

この峠道は庄内の平田町へと繋がっている。かつては主要な物流を舟運に頼っていたので、そのルートから外れる山村は、山を越えたところの町へ繋がる峠道を持っていた。昨年からわが山友会では、古道である峠道に着目して、県内の峠道をいくつか登っている。古い延喜式に記載のある佐芸駅(現鮭川村)から飽海駅(現平田町)への陸路として使われていた。



峠にかかる滝は勢いよく落下し、鮭川となり、やがて最上川に合流して酒田の海へと流れていく。この川に鮭が遡上するので、この名がついたのであろう。いまも遡上した鮭を捕らえ、寒干した鮭が名産(ただし少量)となっている。

最終目的地の与蔵沼に着いたころ、曇り空から霧のような雨が落ちてきた。昼食の握り飯を早々済まして出発地点へと引き返す。川沿いに、山菜が柔らかく伸びている。シドケ、ヤマミツバ、ウド、フキなど、メンバーはそれぞれに好みのものを採る。



帰路、戸沢村のポンポ館で温泉に入る。山歩きのあとの温泉は至福の時間である。そこで出会った人たちから、山へいくことを羨ましがられた。やはり、健康でいなければ、山に行くことはできない。あと何年この楽しみを続けられるであろうか。
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ひとかき万倍

2013年06月07日 | 民話


銀行のロビーに、鬼の人形が展示されたいた。小物づくりの細かな芸である。この鬼にちなんで、山形に伝わる鬼が出てくる民話を紹介する。

爺に死なれた婆が団子をこしらえて供えようとするとネズミの穴に落ちこんだので、そのまま歩いていくと、地蔵さまがいて、うまそうだからといって団子を食ってしまった。地蔵さまに食べてもらってありがたいとおがんでいると、鬼がでてきて、決して粗末にしないかた島にきて飯炊きをしてくれ、といって鬼が島に連れていった。婆はそこで米がひとかき万倍に増えるヘラで飯をこしらえ、汁を煮た。

鬼たちは、うまい飯を炊いてくれるのでよろこび婆を大事に扱った。だが、なんぼ鬼どもから大事にされても、やっぱり人間が恋しくなるし、自分の住んでいた村がなつかしくなり、
『もう手伝いはよかんべ。村さかえしてくれ。』と、鬼どもに頼んだがなかなか帰してくれなかったど。婆の心には、望郷のおもいがふつふつとわき、ついにその島を逃げ出した。手には、万倍のヘラを持っていた。

追ってきた鬼どもにつかまりそうになったが、川があり小舟もあったので、それに乗り、ひとかき万倍のヘラで漕ぐと、川水が万倍にふくれあがり、水は逆流して鬼が島も水浸しになってしまい、鬼も追うのをあきらめた。婆は借りたヘラを地蔵の渡すが、地蔵はそのヘラをやるから、困った人を助けてやれ、言ってヘラを渡した。婆はそのヘラで食べものもない人たちに米を万倍にして食べさせたのでたいはんありがたがられた。

ロビーの鬼は、婆から逃げられて嘆いているような感じにできている。民話の世界では、鬼は人間世界のすぐ近くの隣人である。人間を困らせるようなことはしないのである。
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シボレー

2013年06月06日 | 日記


アメリカ自動車の最王手GMの創業者はレーシングカードライバーのルイ・シボレーと馬車販売業で成功した資産家ウィリアム・デゥラントである。シボレーは創業者の名前を冠に、GMの中核車種として君臨してきた。ルイ・シボレーがこの世を去るのは1941年6月6日、今からちょうど72年前である。

GMに先行して、アメリカで自動車の大量生産に乗り出したのはフォードであった。それまでの自動車は専門の運転者が車を運転することを前提に生産されていた。フォードの先進性は誰でもが運転できる車、T型車を開発したことである。運転技術を容易なものし、価格も大衆に手の届くまでに抑えて売り出した。1908年のことであった。これが功を奏して、フォードは売れに売れた。アメリカを自動車王国に押し上げたのは、このフォードの功績である。

フォードの対抗馬として登場するのが、シボレーである。先行するフォードに立ち向かうにはどうすればよいか、シボレーは考え抜いた。技術優先のフォードに対してシボレーがとった戦略はデザイン優先である。フォードは技術を重視したため、ハード部分が最初にあり、デザインはその後に考えられた。そこでシボレーはデザインが先行する。ハードの部分はそのデザインに合わせて設計された。

この戦略が功を奏してフォードを抜き去るのは、シボレーが死んだ15年後、1950年のことである。GMはその後、アメリカの自動車業界をリードし、リーマンショックまで世界に君臨してきた。

自動車の販売にネット業界が参入している。車内に多くのセールスマンをかかえて、車をうる従来のスタイルに対して、ネットで自分の気に入った車を見つけて注文する方式は、販売コストを大幅に軽減する。メンテナンスには、築かれているサービス工場を利用するから、アフター面での不安もない。人生最後の車選びは、小型で扱いやすく、しかも価格も老人むけのものに決めた。新車が7月には納車される。



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ズッキーニ

2013年06月05日 | 農作業


ズッキーニの成長は早い。芽をだしてからわずか2週間ほどで、葉がぐんと上に伸び始めた。中心部にはもう実をつけた花芽がついているのが見える。ズッキーニを植えだしてから、5年目になるが、皮肉なことに、隣の畑の方から分けてもらった初年度が一番順調に収穫できた。その後味をしめて、毎年苗や種を植え続けているが、途中でうどん粉病にかかり収穫を断念することが続いている。

果たして今年はどんな成績であろうか。いまのところは順調な生育を見せている。管理が難しいように思う。とくに発生しやすいうどんこ病には防除の薬もあるので、今年はこまめな管理に気をつけたい。玉村豊男の『農園からの手紙』には、このズッキーニが「新顔の野菜」として紹介されている。

最近ではスーパーの野菜売り場でもよく目にするようになったが、以前はデパートにいかなければ、求めることができなかった。その上、一本200円~300円という高値で、とても食卓にのせられる野菜ではなかった。畑を借りて野菜作りを始めたひとつの動機は、ズッキーニのような珍しい野菜を自分で作ってみたいということでもあった。

玉村豊男はズッキーニの食べ方を紹介している。
「うちでいちばん頻繁にやるのは、輪切りにしてグリルで焼く方法。焦げめが少しつくくらいまで焼いてオリーブ湯と醤油を混ぜたものと塩胡椒、好みでレモンのドレッシングをつけて食べる。ほのかな甘みが生きて、毎日いくら食べても飽きない。」

もうあと10日もすれば、ズッキーニ初取りが楽しめる。
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シシウド採り

2013年06月04日 | 日記


笹谷峠に妻とシシウド採りに行ってきた。山形工業の山小屋をテレビのアンテナの方へ行く道の両脇にシシウドがたくさん生えている。もう大きくなって固くなってしまったものが多いが、葉のかげ見るとこれから葉を広げようとする若いものがあるので、それをを採る。蟻が茎には固まってとりついているのを見かけるが、それだけこの新芽が甘い証拠であろう。

この季節になると、毎年タケノコとシシウド採りにでかけるが、シシウドが話題になることも多い。秋田の人が、これをアマニュウといって好んで食べる。我が家では、3日間水にさらして灰汁を抜き、炒め煮にするが、タラの芽のようにそのまま天ぷらにするものいいという。茎には甘みがあり、山羊に食べさせると乳を多く出すようになるという。山形では、シシウドを食べる習慣がなく、だれも採らないので、わずかの時間で好きなだけ採ってこれる。

梅雨のころになると、山裾が白い花で覆われる。その殆どがシシウドの花だ。せり科のこの植物は、人から採られることも少なく、繁殖を謳歌している。昨年このブログにシシウドについて書いたが、この季節になると検索して読んでくれる人も多い。それだけ、あまり知られていない山菜なのだろう。


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