常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

向日葵

2013年08月14日 | 日記


向日葵にはやはり青空が似合っている。悠創の丘で撮影したが、向日葵をアップにすると背景の街が小さくボケた。気にいったショットとなった。今年は西日本を中心に猛暑が続く。四国の四万十では8月12日に41℃の日本最高を記録したが、4日続けての40℃越えである。気象庁の解説では、南から張り出している高気圧のうえに、大陸の高気圧がのっかっている現象がこの高温をもたらしているらしい。

向日葵は暑いのを歓迎するかのように太陽に向かって大きな花を開いている。ものの本によると、夏の強烈な太陽に耐える最強の花とあった。人間の背丈をはるかに越える茎の高さ、それを支える茎はどっしりと太い。最近は広い土地に一面の向日葵を咲かせるテーマパークのような名所も多いが、そうした場所の向日葵は比較的小ぶりである。写真に見るような大きな向日葵は少なくなっているようだ。

向日葵は金の油を身にあびて ゆらりと高し日のちひささよ 前田 夕暮

ゴッホの向日葵の絵は名高いが、夕暮はゴッホにも似た鋭い感覚で、向日葵を捕らえた。この花を見ていると、熱中症で搬送される日本人のひ弱さを感じる。
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里イモ

2013年08月13日 | 万葉集


朝畑にいくと、顔よりも大きな里イモの葉には、たっぷりと朝露を含んでいた。七夕祭りにこの葉から露をとって硯の水として墨を磨り、短冊に歌を書きつけた風習があった。そのために、里芋はツユトリグサとも呼ばれていた。筆を使う習慣が廃れてしまった現代では、こんな言葉も死語である。

里イモは東南アジアなど熱帯モンスーンの植物であるが、わが国には驚くほど早い時期に渡来していた。とにかく高温で、湿気を好む植物である。

蓮葉は かくこそあるもの 意吉麻呂が 家にあるものは 芋の葉にあらし 巻16・3826

万葉集に見える里イモを詠んだ歌である。この8世紀ころに編まれた歌集で、すでにこのころどこの家にも栽培されていたことを物語っている。芋はウモと呼ばれた。

この歌は、宴会の席で蓮を題材にして一首詠めとしいられて詠んだものだ。宴会が開かれた家で、見事な蓮を愛でる歌会が催された。あるいは、料理を盛った器は蓮の葉であったかも知れない。蓮が同じ韻の恋を連想するし、高貴な料理を褒めるのは、この家の夫人を暗にほめそやすことで、宴会を盛り上げようする意図がある。

それにひきかえ内の愚妻なぞは、芋の葉といったところでしょう。芋娘などという卑下したいいまわしが、宴席の笑いをとったことであろう。そんな比喩に使われるほど皆が好んだ食べものであっただろうことが想像できる。山形で行われている芋煮会などは、ごくごく近年のことである。
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こだま

2013年08月12日 | 日記


もう、こだまを知っている子供たちも少なくなった。自分の子供のころは、山道で谷向かって叫ぶと、その声が山に反響して帰ってきた。きょうは、こだまの音が冴えているから、雨にならない、などとと知った風で話したものだ。空気中に湿気があると、それに音が吸収されて、どこかくぐもったこだまになる。あながち、ばかにした話でもない。

ふるさとの
谷のこだまに今も尚
籠りてあらむ母が梭の音 

石川啄木の望郷の歌である。啄木の母の機織の響きは、ふるさとの谷にこだましていたのであろう。明治41年5月、啄木は北海道から単身上京して、小説家をめざし苦闘の日々を送っていた。友人の金田一京助の厚意で下宿生活をしながら、小説5編、原稿用紙に300枚を出版社に持ち込んだが、ことごとくつき返された。目論んでいた収入も叶わず、一日の食べものさえもない赤貧の生活であった。

たはむれに
母を背負いてそのあまり
軽きに泣きて三歩あゆまず

この歌は実際に母を背負ったのではなく、制作上の虚構である。赤貧の生活にうちひしがれた啄木にとって、ふるさとにある母の姿は、山のこだまのようにその胸に響き続けたのであろう。

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古木

2013年08月11日 | 登山


古木がなかば朽ちかけて、痛々しい姿で佇んでいる。その脇には、勢いのある若木が枝葉を茂らせている。こんな木を見ていると、幸田文『木』の一文が思い出される。

「木は口もきかず歩きもしない慎み深いものだが、なじみ親しむばかりが木との交際ではない、地を隠すもの、広さをまどわすものとしても、心得ていなくてはなるまいと思う。生きていのちのあるものは大概が、どこか、なにか、はたからは思いのほかの、あやしい一面をもっているらしいが、はからずも樹木の惑わしを垣間見たような気もした。これだから少くも一年四たび、四季の移り変りを知るのは、ものの基礎だといえる。」

木を愛するものの含蓄に富んだ言葉である。新緑から、いま紅葉を目前にして木の姿はその命の本質を見せている。こんな木を見ながら、口をついてでる言葉がない。じつに淋しい感じである。石川啄木の歌にこんなのがある。

森の奥
遠きひびきす
木のうろに臼ひく侏儒の国にかも来し

毎日、眼前に仰ぎ見る山のなかに、こんなにも豊かな木々の世界がひっそりと広がっている。
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瀧山

2013年08月10日 | 登山


瀧山は毎朝家の裏に見える山である。標高1362m、娘たちが小学校時代に全校登山した山でもある。頂の表情で季節を表し、その日の天気を知らせてくれる。蔵王温泉から見ると、瀧山の裏側が荒々しい岩の切り立った山であることが分る。今年の二月に、冬の瀧山に登ったが、雪庇を踏み抜く事故で途中で断念した。

その雪景色を思い出しながら、山道を歩く。下ではこの夏一番の気温で蒸し暑いが、山中はガスがこもり、風が吹きぬけて涼しい。立秋を過ぎて秋の気配がところどころに顔をだしている。あらためて、山登りの楽しさを身体全体で味わう。山登りの仲間にはいろんな個性があるが、自然の営みに興味をもっていることはメンバーに共通している。



タマゴタケのみごとな赤い傘が秋の到来を語っている。ベニテングタケ科のこのキノコは一見、毒キノコのように思えるが、この赤と黄色のタマゴタケは食用にされる。豆腐汁や鉄板焼きなどが美味とキノコの図鑑に書いてある。こんなめったに得がたい食材を手に入れられるのも楽しい。

頂上付近でアサギマダラがゆっくりと舞うように飛んでいた。木の皮の中にタマゴを産みつけて初夏に孵化すると、深い山のなかで餌を取りながらやがて遠い旅へと飛び立っていく。アサギマダラの生態は実に神秘に満ちている。生命の不思議はこんなところにも何事もないように営まれている。



頂上にひともとのヤマハハコが咲いていた。この花もまた高山でなければ見られぬ花だ。瀧山の頂上を、自分の庭のようにして咲いている姿にはいじらしさを感じる。高い山では季節の移り変わりが早い。5ヶ月前には深い雪に閉ざされていた山に、秋の花が咲き、オオカメノキや木イチゴが赤い実をつけ始めた。

下山したスキー場にはススキの穂が風に揺れていた。その赤味を帯びた色が、秋になって命を育む力を象徴しているようだ。秋が死を象徴する季節だというのは大いなる誤解だ。秋こそ春夏の成長期に貯えた命の力をさらに次の季節に向かってじっと温存する季節なのだ。

なにもかも失せて薄の中の道 中村草田男



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