常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

蝉丸

2013年08月09日 | 百人一首


百人一首の読み札に、蝉丸の絵姿が付されている。琵琶法師で目が不自由という言い伝えを絵にしたように見える。『今昔物語』に宇多天皇の息子敦実親王の雑色(使い走り)という話が見えるから、菅原道真が活躍した時代の人である。姓氏を詳やかにしていない。

管弦の名手、源博雅が逢坂(滋賀県大津市)にすぐれた盲目の琵琶法師がいるという噂を聞き、3年間通い詰めて流泉、啄木の秘曲を伝授してもらった話が大江匡房「江談」に見える。だが、蝉丸の詠む歌には心のよるべなさがにじみ出ている。家なく、未来なく、所有も愉楽も安定もまたいこいすらない。そんな蝉丸の生み出した歌が百人一首の十番目に入集した。

これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬも逢坂の関 蝉丸

別れの対極にあるのが逢うという行為である。逢坂の関は東海道と中山道交差する交通の要衝であり、道路というインフラ自身が出会う場所である。それを使う人々はここで東下する人を送り、都へ来る人を迎える。知人であるかどうかも関係なく出会う場所でもあるのだ。

世を捨てて庵を結んでこの逢坂の地に住んだ蝉丸であるが、その不自由な目にこの人々の出会いの光景はどのように映ったであろうか。別れるということに次に大切な出会いが待っているのが、この不思議な逢坂の関であったであろう。平成26年の岳風会の優秀吟の課題吟にこの蝉丸の歌が採用されている。

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デジカメの楽しみ

2013年08月08日 | 日記


早池峰山は花の百名山にもなっている。はるばると岩手第二の高山にきたので、珍しい花を写すことに夢中になった。花の名は近くにいる詳しい人に聞きながらマクロで撮った。だが帰宅して写真を見ると半分ほどはピント合わせで失敗している。ピンボケ写真ばかりなのだ。おまけに8合目あたりでバッテリー切れとなり撮影不能になった。

ネットショッピングでバッテリーを探す。驚いたことに一個140円のものが見つかった。迷わずに2個注文する。3日ほどで品物が着き、すぐに充電して使用してみる。何の支障もなく使えることが分った。デジカメの予備バッテリー2個が入手できた。さらに、充電式乾電池エネロングも安価で購入。デジカメの楽しみも倍増である。

マクロのピント合わせに挑戦する。取説を引っ張りだして再確認。マクロが20センチのものと1センチのものを使い分けないことによる失敗であることが判明した。手元の文庫本の装丁を写してみた。その鮮明な美しさに感動する。
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昭和の匂い 身の上相談

2013年08月07日 | 日記


昔、時間が待ち遠しく聞いたラジオは「小沢昭一的こころ」、家族に隠れるようにして読んだ新聞記事は「身の上相談」であった。どちらもちょっと恥ずかしいような大人の色気が漂う内容になっていた。特に「身の上相談」には女性の相談が多く、世の女性たちはどんな悩みを持っているのか興味津々であった。昭和39年の新聞の身の上相談にこんな記事が載った。

「結婚9年、二歳年下の夫との間に、三児があります。昨年の初めから夫が怠け始め、会社も辞め、生活に追われて私は、娘時代勤めた銀行へ働きに出ました。職場で親切にしてくれるAに心をひかれ、一しょに映画を見に行ったりするうち行内の評判になり、Aは退職、私も夫を嫌うあまりAのもとに走り、1月以来同棲しました。その間女中奉公をしたりして、失業中のAと苦労しながらも、幸福な日を送りましたが、最近いろいろ考え出してきたAが、別れ話を持ち出してきました。私としては、何の罪もない彼の妻子のもとへ、一日も早く帰してやりたのですが、後で一人ぼっちになることを考えると、何もかも忘れて死にたくなります。お導きください。東京M子」

回答は作家の宇野千代である。宇野千代は作家の尾崎士郎、画家の東郷青児、作家の北原武夫と恋愛、結婚遍歴で有名であった。常に幸福を考え、その言葉に「人間とは動く動物である。生きることは動くことである。生きている限り毎日、身体を動かさなければならない。心を動かさなければならない。」という名言がある。

「長いお手紙を読んで、私にはあなたの気持ちが手にとるように判ります。いまのあなたを見て、罰があたったのだと笑ったりすることが出来ましょうか。私もあなたと同じように人生の道しるべを見失い、夜他人の家にともっている灯を見て、幾度泣いたことでしょう。しかし、お手紙を見て私は、あなたの心がいつの場合でも実にあたたかく、自然であるのを感じます。たぶんあなたは、いつの場合でも、自分のことと一しょに、他人の苦悩を感じることの出来る、珍しい心の持ち主だと思うのです。細かいことは判りませんが、あなたは決して死んだりはなさらない。仕事はどこにでもあります。まず仕事を探してください。他のことはすべて時日が解決します。あなたの死が三人の子供やその他の人にとって、どうゆうことになるか。それを考えただけであなたは死んだりなさらない。どんなことでもよい。仕事を探して、身体を動かしてください。一歩足を踏み出してください。」

人生の酸いも甘いもかみ分けた宇野千代ならでは回答である。平成の時代では、理解しがたい行動について「心の闇」などという言葉で済ませてしまうことが多い。宇野千代の言葉は、今の時代こそしっかり心に焼き付けておきたい。



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尾花沢

2013年08月06日 | 日記


尾花沢へ行く。親戚を廻って中元の挨拶。今年の雨はこの地方の農作物にも大きな影響を与えた。特産のスイカも雨の影響で出来がよくなったという話がしきりだ。トマトも茄子も、ジャガイモもひとつもいいものがないなか、サトイモは生育が順調だ。栽培を頼んでいるヤーコンは写真のようにこちらは順調である。

盆礼やひろびろとして稲の花 高野 素十

中元の挨拶にいくとどの家でも心尽くしの収穫を用意して持たせてくれる。今年は小玉スイカ、大玉スイカ、カボチャ、アスパラ、インゲン豆、ネギ、ジャガイモなど小さな車はいっぱいになる。野菜づくりをしているが、いただいた収穫を見ながら自分の畑の貧弱さに思いが走る。笑顔をかわしてお互いの息災を確認しあう。



農家の玄関先はいま夏の花がさかりだ。それぞれの好みで珍しい花を競うように咲かせている。妻のいとこたちは、みんな70歳を大きく超えて、農作業も大変になっている。後継者がいる家はあまりない。孫が地元の土地改良に就職できたと、喜んでいる家もあった。

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七福神

2013年08月05日 | 日記


東北芸工大の前の通りを散策していると、幼稚園の前に陶製の七福神が置かれている。どんなつもりでこれを置いたのか分らないが、ユーモアの感じがして朝の散策にほっこりとするあたたみを感じた。

なかき夜の遠(とお)の眠りの皆めさめ波のり舟の音のよきかな

江戸の街では、宝船の絵ににこの歌を書いたお宝売りが正月の名物であった。歌には細工が施され、上から読んでも、下から読んでも同じに読めるめでたい歌で、正月二日にこのお宝を枕の下に入れて寝ると、「一富士、二鷹、三茄子」のめでたい初夢が見られると信じられていた。

そもそも七福神の信仰は室町時代に興った。福神である弁財天、恵比寿、大黒に、毘沙門天、布袋尊、福禄寿、寿老人の4神を加えて七福神とした。布袋は弥勒菩薩の化身とされ、実在の中国僧である。禿げた頭で微笑をたたえ、大きな腹を突き出した愛嬌のある姿で、大きな袋に全財産を入れて持ち歩いたと伝えられている。

どの福神さまも、日本人なら誰でもが聞いたことがあるだろう。それほどに、この信仰は江戸をピークに日本中に広まった。平成の時代の幼稚園の守り神として、道路の一部を舟に見立てて七福神が並んでいる。
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