常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

猛暑

2013年08月18日 | 日記


今日は朝から気温が上がっている。畑からの帰り道、道路の気温表示は午前8時で31℃であった。人に会うと、「暑いね」というのが挨拶代わりだ。ここに来て、トマトの木に勢いがある。収穫するミニトマトの量も多くなった。

夏が暑いのは、今に始まったことではない。クーラーや扇風機のなかった時代、人々はどのように涼を求めたのであろうか。

市中は物のにほひや夏の月   凡兆
 あつしあつしと角々の声   芭蕉

芭蕉をとり巻く俳諧師が連句の世界で風流を競った。風もない夜、街にたち込めていた匂い。それは、夕食を煮炊きする匂い、蚊遣りの匂い、それに混じって溝の匂いもあったかも知れない。その渾然一体になった街の匂いが立ち昇っていく夜空には、うっすらと月が出ている。家のなかにばかり閉じこもっていられぬ夜だ。家々からは「あつい、あつい」という声が聞えてくる。人に聞えるように、「あつい」という言葉を吐くことで、一瞬の涼が得られたのかも知れない。

老若男女が縁台に出て、蚊遣りを焚きながら、団扇で風を送って涼を取る。そんな光景も、昭和の40年代までのことであったか。朝の散歩で、少しづつ見つける秋の風景で暑さをまぎらせるばかりである。稲の穂が垂れ始め、石榴の実が色づきはじめた。
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空蝉

2013年08月17日 | 日記


シャガの葉にしがみつくように、蝉の抜け殻が残っていた。地中で7年も生活して、殻を脱いで蝉になるが、その生命は鳴きながらほぼ1週間で終わってしまう。そんな生命の哀れさをいつしか空蝉と書くようになった。もともとは現人と書いてうつせみと読んだ。この世に現在する人間の仮の姿をうつせみという。死して後は、目には見えない神となるという信仰が、古来日本にはあった。人間の命のはななさ、その存在のむなしさがこの言葉の中に秘められている。

空蝉のごとく服脱ぐ背を明けて 加藤三七子

『源氏物語』には「空蝉」の巻がある。光源氏の手に小袿を残して身を隠したそれは、空蝉の抜け殻であることを物語っている。光源氏はその小袿を肌身離さずに手元にして、隠れた空蝉へなお思いを寄せる。

空蝉の身を更へてける木のもとに 
 なほ人柄のなつかしきかな 光源氏

小袿は恋の小物として、空蝉と光源氏の間に介在するのであった。人柄と抜け殻が掛詞になっていることにも注目した。後日、再び空蝉のもとを訪れる源氏だが、そこに待っていたの豊満な肉体の軒端荻であった。
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野菜の色

2013年08月16日 | 農作業


今朝、野菜を収穫した。猛暑のため、2日ほど畑から遠ざかっていた。その間に、ブロッコリーが大きくなり、ミニトマトが色づいていた。ナスの紺色が見事だ。手に触っただけで、このナスが美味しいことが分る。写真でオクラの色をうまく出すことは難しい。シャドウ部分の緑がくすんでしまう。しかし、こちらも新鮮なため手のなかで粘りの粘液を出し始めている。

虫鳴くや木賊がもとの露の影 樗 良

トマトの木の陰から虫の音が漏れてきた。そういえば、きのうまでうるさいほどに鳴いていた蝉の声が遠のいている。秋がしのび寄っているのだろうか。生まれたてのカマキリがゆっくりとした動作で草の上を移動している。
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大和煮

2013年08月16日 | 日記


最近、食事に缶詰を利用することが多くなった。特に、ノンオイルのツナ缶や鯖の水煮や味噌煮などは重宝する。野菜の煮物などに加えると、非常においしくなる。しかも低価格で、栄養もそのまま缶のなかに保存されているからうれしい。

そもそもこの保存食品を推奨したのはナポレオンと言われているが、日本でこの技術を展開したものが大和煮である。明治20年代に東京赤坂の黒田侯の庭園の池に鴨の群れが集まるのを見た四谷の料理人が発案したものである。渡り鳥である鴨を大量に捕獲して、これを醤油に味りんを加えて煮て缶詰にする。この料理は全くの新製品で、そのうえ純日本産であるから大和煮と名づけられた。

この缶詰はたいへん好評であった。しかし、鴨が入手しづらくなると、牛肉などの肉が代わって使われた。明治35年には明治天皇が牛肉の缶詰を試食したことが知られている。日露戦争以来、日本軍の食糧として使われた。牛肉が高価であったので、その後鯨肉を使った大和煮は、庶民の食糧として大いに利用された。

スーパーの店頭では、どの店にも缶詰のブースがある。季節の野菜であるトマトの缶詰も畑の収穫が終わる秋以降には、完熟した旬の味が楽しめる。

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鶏頭

2013年08月15日 | 


鶏頭の人目をひくショッキングな赤は、淋しい秋草の花のなかでひときわあでやかなである。万葉の時代には韓藍(からあい)と呼ばれ、韓の国から渡来した藍を意味し移し染めに用いられた。くれないが紅花の藍染であるのに対して、韓藍は臙脂(えんじ)がきわだつ。

山部赤人の歌が万葉集巻3・384に収められている。

我がやどに 韓藍蒔き生ほし 枯れぬれど 懲りずてまたも 蒔かむとぞ思ふ

韓藍つまりは鶏頭だが、自分の庭に蒔いたのが枯れてしまった。懲りずにまた蒔こうという意味だが、韓藍を女性に見立てるとがぜん万葉の歌らしくなる。苦労して手に入れた恋人が不縁に終わったので、懲りずにまたいい人を手に入れたいというのだ。

秋さらば 移しもせむと 我が蒔きし 韓藍の花を 誰か摘みけむ 巻7・1362

こちらの歌とあわせて読めば、秋まで育つのを待っている間によその男に摘まれてしまった男の悔しがりようが分る。もっともこちらは、娘を育てていた母の嘆きと解釈するむきもあるようだ。

正岡子規の絶筆となった鶏頭の花の俳句は有名だけれども、子規を継承した斉藤茂吉にも鶏頭を詠んだ歌がある。

鶏頭の古りたる紅の見ゆるまで わが庭のへに月ぞ照りける 曉紅

花を愛する心は、人類の歴史が始まってから、絶えることなく現在にいたるまで連綿と続いている。花はその色や香りに加えて蜜を貯えて、昆虫を呼んだ。花が受粉し、種を残して次代へと生命を継続するためである。
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