常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

金木犀

2014年09月25日 | 


垣根の向こうで、秋の日に突然香るのは金木犀である。この花は枝中に金色に咲く前から香るので、その木がどこにあるのか、つい探すことになってしまう。今朝は、満開に花を咲かせたのでそのありかは瞭然となった。詩吟の先生の家の庭に金木犀の木があり、この季節に香りととも花を咲かせる。「今年も金木犀が咲きましたね。」と言うと、「匂いがきつくて」と奥さん。

飽きられてをり木犀が金こぼす 田川飛旅子

同じ種類に銀木犀がある。こちらは銀色の花を咲かせるが、花の時期はやや遅い。中国名では丹桂という。タワーカルストが群立し、絵のような景観で有名な桂林は、丹桂が林のように繁る土地である。金木犀の名所である畳彩山、カルストの奇観を呈する象鼻山は人気のヴューポイントである。まさに山水画の世界が眼前に広がる。

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お彼岸のごちそう

2014年09月24日 | 介護


95歳になる義母が先月くらいから自力歩行が困難になり、リハビリのため病院に入院きのう退院した。さすがにこの先はひとり暮らしは難しく、わが家からデイサービスとショートステイへ通うことにした。きのうは退院のお祝いと彼岸の中日ということもあってぼた餅を作った。病院食を続けていた義母には、よほどうれしかったらしくおはぎ3個と納豆1個をうまい、うまいといいながらあっという間に平らげた。

ぼた餅を気の毒さうに替えて喰ひ 誹風柳多留

「食べることは生きること」こんな当たり前のことを、義母を見ながら実感する。ぼた餅が大好物の義母には、替えて喰うことにも悪びれもせずひたすら食べ続ける。時おり発する言葉は、「うまいなあ」という一語だけの繰り返しである。老夫婦二人だけの生活に、子どものような老人を加えた夕飯は、少しだけ団欒の雰囲気が増したような気がする。

老人は生活環境が変わってしまうと、それに馴れるまでパニックになることが多いと聞いていたが、そんな様子も見えず落ち着いた静かな生活である。妻にとっても、一人暮らしをしている実家へ通うより、同居の方が負担が軽くなる分ゆとりができる。老夫婦二人が協力しながらする介護の暮らしが始まった。


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ヨウシュヤマゴボウ

2014年09月23日 | 


洋種ヤマゴボウ、別名アメリカヤマゴボウ。軒下で取り残した雑草があれよあれよという間に生長して、背の高さを追い越して、茎は赤くて太い。まるで木と見間違えるような勢いをもっている。白い花を咲かせ、扁平な実をつけるが、秋になると黒く山ブドウに似たおいしそうな実をつける。ところが、この植物は毒を持ち、実を食べたりすると強い嘔吐や下痢を起こす。子どもには手に触れることも危険なので避けた方がいい。

食用になる在来のヤマゴボウとは全く違う種で、明治以降にセイタカアワダチソウなどとともに渡来し、日本に帰化した植物である。日本全国で雑草化している。実は染料や赤インクの色の原料に用いられた。日本に帰化して100年以上も経つので、軒下や薮の中でこの実が色づく秋の風景は日本の風景として馴れ親しまれている。

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曼珠沙華

2014年09月22日 | 


彼岸の墓参りに行って来た。墓の脇の竹林に赤い曼珠沙華の花が咲いていた。もう30数年も前になるが、沼津で死んだ父の納骨に、お寺の墓に行ったとき、墓に行く畑中の道の脇に一面に曼珠沙華の花が咲いていたのを思い出す。この花は彼岸のころに咲くので、彼岸花とも言われる。マンジュシャゲというこの言葉は、何か神秘的な響きがある。もともとサンスクリット語で、天界に咲く花を意味するという。仏教の経典にめでたいことが起こる兆しとして、この赤い花が天から降る、と記してあるらしい。

しかし、この花が植えられたのは、毒を持つ草であるので、モグラや鼠が田の畦に穴を開けるのを防ぐ現実的な目的があった。また、その毒を利用して堕胎の薬としても使われてきた。北原白秋の詩に「曼珠沙華」がある。この詩の山田耕筰曲をつけて名曲が生まれた。

ごんしゃん ごんしゃん どこへゆく
赤いお墓の ひがんばな
きょうも手折りに 来たわいな

ごんしゃん ごんしゃん  何本か
地には七本 血のように
ちょうどあの児の 歳の数

ごんしゃんとは、良家の娘を呼んだものである。人知れず懐妊して、堕胎したが発狂して野をさまよった。その堕胎に用いたのが曼珠沙華であったのであろう。7本は、堕胎した子が生きていれば7歳である。白秋は、このごんしゃんの秘話を聞いて詩に詠んだ。


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祝瓶山

2014年09月21日 | 登山


9月20日に登った祝瓶山は今シーズンの登頂ベストとなった。第一番には天候に恵まれたことだ。青空を突くような祝瓶の尖った山頂は、登山の醍醐味を象徴する魅力にあふれている。昨秋に登った秀峰、新潟湯沢の大源太山に少しも引けをとらない強烈な個性の山である。

祝瓶山は標高1417m、山形と新潟県境に聳える朝日連峰の最南端の山である。我々の取った登山ルートは長井の木地山ダムの奥にある祝瓶山荘から、ほぼ直登で頂上へ向かうコースである。桑住平の少し奥から頂上まで、水平距離で1600mであるが、この間の高度は800mという急登である。「一歩歩高こうして光景開く」とは、草場佩川が山行を詠んだ漢詩であるが、まさにこの詩のままの山行となった。

足元には登ってきた登山道の脇から、転げ落ちるような渓が見え、眼前の大玉山に続く朝日連峰の山並みが、それこそ一歩登るごとにその全容を少しづつ明らかにしていくのだ。朝日連峰の一部でありながら、独立峰のような山容ならではの光景が次々と眼前にくり広がっていく。この連休に日本アルプスで滑落事故が多発したが、この山を登って、一歩間違い体制を崩せば事故に繋がることを実感した。



今回のチームは最高齢のsさんと私、仲間に誘ったAさんとベテラン女性3名の構成である。特に怪我をした左膝の関節に人工骨を入れてなお山に登り続けるsさんへのリスペクトの感を一層強くした山行であった。6名の仲間は、滅多にない好条件のもとで満喫した登山への思いをそれぞれの胸に刻んだ。



足元に咲く季節のリンドウの濃い紫の花が、疲れた身体を癒してくれる。休憩の度に仲間から渡されるフルーツや甘いお菓子の味も忘れ難い。新人のAさんの感激は鮮烈で、「生きていてよかった」という名文句が、口をついて出た。


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