常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

冬至南瓜

2014年12月22日 | 日記


今日は冬至、この日を境に日は一日、一日と長くなっていく。一陽来復と言われる所以でもある。ここでは、この日に南瓜を炊いて、近隣に届ける。3軒の家の南瓜を食べると、その冬は健康に過ごせるという言い伝えがある。

冬至とて南瓜嫌いひも食はさるる 下村ひろし

南瓜嫌いというわけではないが、晩酌にはあまりそぐわない食べ物ではある。小豆に砂糖を加えて、甘く煮付けるから、どちらかといえば女性や子どもたちが待ち望んでいる食べ物といえる。この冬は寒の入りの前に、3度も寒波がきて、雪は根雪の状態だが、昨日の雨で道路は車を走らせやすい。


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高齢者講習

2014年12月22日 | 日記


一昨日、山形市美畑町でひき逃げ事件が起こった。深夜2時、歩行中の男性を1.5キロ引きずって路上に放置したまま走り去った。男性はひどい損傷を受けて死亡、事件を起こした運転手は逃げたままで、警察で鋭意捜査中とのことだ。こんな事件が起こったすぐ後、運転免許更新のための高齢者講習を受けた。

講習の初めの説明で、高齢者に交通事故の件数が山形県で毎年1200件を超え、事故防止を呼びかけてもこの水準は下がっていないことに先ず驚いた。さらに、全運転者のなかでも、高齢者の事故はもっとも高い水準である。車の運転は、日常のこととしてさほど気にもしていなかったが、検査機器で調べてみると、咄嗟の場合の判断や操作が、機敏性が衰えてきていることが分かった。

なかでも、高齢者の事故は不注意、安全不確認、一時不停止などの単純なミスが重大事故を起こしているらしい。高齢になればなるほど移動や買い物にたよることが多くなる。これからの運転には十分に注意する必要がある。


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国定忠治

2014年12月21日 | 


博徒で名高い国定忠治(本名長岡忠次郎)が、磔の刑で死んだのは、嘉永3年(1850)12月21日のことであった。刑場は、忠治が犯した罪のなかでも最も重い関所破りの現地、大戸関の前に設けられた。すでに死を覚悟していた忠治は、処刑を怖れる風もなく、役人に言った。

「大戸には、うまい酒があると評判でございます。どうか冥土の土産に一杯飲ませてはいただけますまいか。」忠治には、近在の百姓などから多くの助命嘆願が届いていたこともあって、この願いは叶った。酒をうまそうに飲むと、その場で横になり、たちまち雷のような高いびきをかいた。いよいよ、刑を執行するときがきたので、役人は忠治を起こし、「どうだ酒をもういっぱいやらないか」と聞いた。忠治は、「よしときましょう。死ぬのが怖くて酒を飲んだなどと思われてはいやですから」と言って、おとなしく柱に括り付けられ、役人の槍で14度突かれて絶命した。

国定忠治が博徒であくどい金を稼ぎながら、その行動が映画や芝居の題材になったのは、窮民を救ったという一面があったからである。天保の大飢饉では、窮民を救うために数百両の金を投じたし、その翌年には飢饉に備えて国定村の上流にある沼浚えをした。賭場に村の金持ちの息子なだ来たときは、本人を諭していれなかった。また、村の秩序を守ることにも力を貸し、盗人が村に近づけなかった。忠治の子分は七、八百ともいわれ、一度声をかけると、400人もの者が駆けつけた。映画や芝居では、その美談が強調されるが、賭博稼業は斬った撲ったの殺伐を極めた。そんな稼業で、子分たちをまとめ上げるには、気風のよさを必要とした。

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ヒヨドリ

2014年12月20日 | 日記


雪が降って雀が裸木で群れているが、その群れを離れて一羽のヒヨドリが羽根を休めている。ときおり、するどくピーと鳴いて、別の木へ移っていく。この季節には、梅もどきの赤い実を好みさかんに啄ばんでいるのを見かける。

林泉の雪鵯来てあとを跡をとどめたり たか女

しばらぶりで書店を覗く。新書の棚に木嶋利男『「育つ土を作る家庭菜園の科学』を見つけて購入する。雪がきてから、畑へいくのも遠のいているが、こんな本を見つけると、来年の野菜作りの勉強は、この冬のうちにという思いを強くする。

テレビの報道で、原油価格の低迷でロシア経済を直撃し、物価の上昇がすごいことになっている。ロシアの人々は、国家をあてにしないで、自分たちで野菜を自給して危機の乗り越える国民性であるという。こんな報道に接すると、野菜作りに習熟するのは、意味あることに思える。


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一人暮らし

2014年12月19日 | 介護


静岡に住む兄が、妻を特老に入れて一人暮らしになった。子供たちは、東京で働き、家庭を持っているので、めったに会うこともできない。名産のみかんを送ってくれたお礼に電話を入れると、元気そうな声が返ってきた。「午前中は毎日ばあさんの顔を見にいっているだよ」それでも、夜中一人でいると、なぜか涙出ると、一人だけの淋しい生活を告げた。

この頃、『徒然草』を読んでいるという。電話の向こうで、「そもそも、一期の月かたぶきて、余算、山の端に近し。」急に古語が飛び出してきた。涙が出そうになると、徒然草の章句を口づさむ、と言う。兼好法師の言っていることは、よく分からないが、明日死ぬことも覚悟して生きる姿が見て取れると話した。「昔の人はいいことを言うよ」自分は何と答えてよいか分からなかったが、「そうだね。600年以上も長く読み継がれてきたこと自体が、それを証明しているよ。」と言うと、次は『枕草子』も読みたいという。

このつぎはわが身の上か啼く烏 小林 一茶

もう私に残された兄弟は、北海道の姉と静岡の兄の二人のみである。この次にこの兄弟が顔を合わせるのは、誰かの不幸のときでしかない。


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