常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

歳末の詩

2014年12月18日 | 漢詩


北海道を爆弾低気圧が襲っている。いま、テレビの画像でその猛威を知ることができるが、記憶の底にあるのは、極寒の地の歳末である。家は莚で囲いを廻していてもなお寒気が室内に容赦なく進入する。ストーブに連結してあった湯沸しは、眠るとき沸騰していた湯が、朝氷を浮かべるほどに冷えていた。もぐりこんだ蒲団は息が出る外側は霜が降りたような様子になっていた。

中国、清の時代の詩人沈受宏の詩は心を打つ。受宏はこの詩を旅先で、故郷の冬に耐えている妻に贈った。貧乏暮らしで、不安でいっぱいのなかにある妻を励まそうしたものである。

 内に示す 沈受宏

嘆ずる莫れ貧家歳を卒うるの難きを

北風曾て過ぐ幾番の寒

明年桃柳堂前の樹

汝に還さん春光満眼の看

意味を書くと

貧しくて年が越せないなどと嘆くことはない。
これまで何回も北風の寒さを凌いできたではないか。
来年になれば、座敷の前には、桃の花が咲き、柳が芽吹き、
今までどおり、春の光が満ちあふれ、お前の眼を楽しませてくれるだろう。

この詩の根幹は承句の「北風 幾番の寒」と転句の「春光 満眼の看」の対比にある。貧家の生活は、あながち見下すばかりのものではない。物に満ち足りていては見えない真実や自然の美しさを見る想像力が養われる。


芸術・人文 ブログランキングへ
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山姥退治

2014年12月17日 | 民話


八戸の村に、権之助とお覚という若夫婦が住んでいた。権之助が年越しの品を買いに街へ出かけるとき、山姥が来ては困るので、お覚を長持に入れて鍵をかけて高いところへ吊るしておいた。お覚は妊娠していて7ヶ月の子を孕んでいた。用心したにも拘わらず、山姥が来てお覚を探し出して食べてしまった。ただ、固い足の踵だけは食べ残してあった。街から帰った権之助は、変わり果てたお覚を見て嘆き悲しんだが、残された踵を大切に袋に入れて吊るし、毎日念仏を唱えた。

ある日のこと、踵が割れて男の子が生まれた。権之助は喜んで、この子に踵(あくと)太郎と名づけて、大事に育てた。踵太郎は逞しく成長し、20歳になると、山姥退治に出かけた。山姥に焼いた餅だといって石を食べさせ、煮立った油をかぶせた。山姥がまだ死に切れずにいるので、首に太い縄を巻き、氷の張っている川に突き落として退治した。

山姥はこのように人間を食ってしまう鬼で、恐ろしい存在だが、山の入り口に山姥の像を立て、悪霊を退散させるものとして祀られていることも少なくない。退治した山姥の祟りを怖れて、社を建て、産土神として祭っているところもある。昔話のなかの、恐ろしいものと適切な距離をとるところに、日本人の精神の深層が存在することを指摘するのは、心理学者の河合隼雄である。


日記・雑談 ブログランキングへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

爆弾低気圧

2014年12月16日 | 日記


あまり聞きなれない言葉に爆弾低気圧というがある。今日16日から明日にかけて爆弾低気圧が発生するという。この言葉の定義を調べると、中心気圧が24時間で24hPa×sin(φ)/sin(60°)以上低下する温帯低気圧(φは緯度)となっている。気象庁の発表では、今回の気圧の低下は50ヘストパスカルにもなるというから、その威力は大型台風と同等のものである。

爆弾低気圧の発生メカニズム、南から吹き込む暖かい空気と大陸から張り出してくる強力な寒気のぶつかり合いだ。この温度差が大きいほど低気圧の発達は大きなものとなる。同じ発生メカニズムをもつものに二つ玉低気圧がある。こちらは日本海を進む低気圧と日本南岸を進む低気圧が北海道付近で一つになって発達し、西高東低の冬型の気圧配置となり、暴風雪、雷、雪崩などを引き起こす。

昨年の爆弾低気圧で、北海道湧別で父親が小学生の娘を迎えに行き、自宅のわずか300っ前で、吹雪に道を閉ざされて娘を吹雪から守りながら一命を落とすという痛ましい出来事も記憶に新しい。この発達した低気圧が、再び痛ましい犠牲を生まないように、最善の注意をしたい。2日間は、じっと家にこもって、低気圧が遠ざかるのを待っているのが賢いのかも知れない。

日記・雑談 ブログランキングへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

年賀状

2014年12月15日 | 日記


年賀はがきを買っていたが、11月に義兄の死があり、今年は喪中のため年賀欠礼のはがきに換えた。郵便局に事情を話すと、手数料なしで普通はがきに交換してくれた。年賀状は新年の国民的な行事になっているが、いったいこんな風習はいつごろから始まったのだろうか。

そのもとになったのは、古くから行われていた新年の回礼であったらしい。隣り近所から、親戚、村の住民まで挨拶回りが行われた。各家庭では、蓬莱飾りを三方の上に載せ、回礼する人はその三方に手を触れて帰ってきた。この風習も、そのもとは新年の共同飲食である。鎌倉時代には、重臣たちが将軍を招いて大盤振舞いをした。この共同飲食によって、臣従の証しとしたので、かかせない行事であった。

回礼は時代が下るとともに簡略化された。明治時代には、家を訪ねて名詞を置いてくるだけになった。この風習は会社のあいさつ回りに残っていた。名詞にわざわざ謹賀新年とスタンプを押して、取引先を回った。取引先でも挨拶回りをしているので、大抵名詞を置いてくるだけであった。郵便制度が進化してくると、この名詞を置く挨拶回りは、封筒に名詞を入れて郵送することが多くなった。さらにその後は、はがきに新年の挨拶を書いて年賀状送るのが、一般化した。

年賀状がこれほど国民的行事になったのは、年賀はがきのお年玉を刷り込んだことが大きかったのではないか。以前は、テレビでその抽選会が放映され、それを見ながら当選番号をメモして、年賀はがきと照合するのが楽しみであった。さらに時代は、携帯電話のメールや新年の挨拶がはがきの変わる勢いを見せている。新年が明けたばかりの時刻に、電話がつながり難いという現象まで起きている。


日記・雑談 ブログランキングへ
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山の生き物

2014年12月14日 | 日記


新雪の上に足跡を残しているのは、兎とカモシカである。めったに遭遇することはないが、兎の足跡は、近年少なくなっているような気がする。深い跡を残すのは、カモシカでこちらは時々見かける。人間に出会うと距離をとりながら、じっとこちらの様子を窺っている様子である。

阿部㐮『庄内の四季』には、堅雪の上でエチゴウサギに出会った話が出てくる。戦後間もないころの話である。

「雑木林まで行くと、きっとウサギに出会う。ウサギはもちろん冬毛が白くなるエチゴウサギである。これが、雑木林の木々の間を、ぴょんぴょん走っていくと、少年は、追いかけないではいられなくなって走りだす。走りだすと、歩いただきではぬからない雪も、ときに、ぶすっとねかってしまう。でも、少年は追いかける。しまいには、汗びっしょりになって、顔から、ほかほか湯気がたつ」

素早いウサギを捕まえられるわかはない。しかし、その逃げていくウサギを追いかけること自体が、少年たちの遊びになっていた。ウサギだけではない。山鳥や、ヒヨドリなど人里近くで餌をあさる鳥たちをも追った。まぐれ当りで、山鳥の足を捕らえた話もある。


アウトドア ブログランキングへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする