常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

キンシバイ

2019年06月15日 | 

雨に入ると、アジサイが咲く前に、キンシバイの黄色い花が目にとまる。名に梅が入っているが、バラ科ではなく、オトギリソウ科の低木である。庭先に植えてあるのは、勢いがよく年々大きな株になり、びっしりとこの花がつくと、見ごたえがある。同じ科でビヨウヤナギもあるが、こちらは雌しべの長さで見分ける。

先日、91歳でこの世を去った田辺聖子の随筆に、花のことが出て来る。

「この桜の後、京には藤、つつじ、山吹、と慕わしき騒がしさがつづく。それにあじさい。露じめりした三千院などはあじさいにはよく適うのであろうが、いったいに京都は湿り気が多いのか、「日本のウェストコースト」といわれる神戸あたりから見ると、空気の肌ざわりが全くちがう。吹いてくる風がそのまま肌にしみこんでくるきがする。」(性分でんねん)

田辺聖子は日本の関西という風土が、その体内にしみ込んだ作家であった。その文章には、音があると言う人がいた。ユーモア、俳句、川柳、古典への深い造詣。これからも読むべき多くの作品を残してこの世を去った。ご冥福を心からお祈りしたい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

初もの

2019年06月14日 | 日記



今年、初めてのサクランボ。お隣からお婆ちゃんに供えて、と頂いた。やはり美しい色に魅せられる。スマホから投稿していたため、色味が確認できず。今朝、写真を見てびっくり。すぐに、デジカメの画像に替えた。食べてみると、やはり初もの味、甘酸っぱい。梅雨のなか、サクランボ畑では、ソトウニシキが日に日に色づいている。
 
キュウリ、ズッキーニなど夏野菜の初ものが続々と食卓にあがる。明日、雨のため山行は2週続けて中止。雨のサイクルが週末に当たっている。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

末期の目

2019年06月14日 | 日記

今年、新緑がいつもの年よりきれいに見える。その葉のうえに花びらをそらして咲くヤマボウシ。五月が高温でったこと、6月になって、梅雨冷というのか、気温が4月に逆戻りしたことと関係があるのか。しかし、5月から6月にかけて、見て取れるのは植物の生命の躍動感である。80歳を前にして、その躍動感に心を打たれるのは、ゆっくりと終焉へ向かっている自らの生命の衰えと関係があるように思える。

「末期の目」は芥川龍之介が自殺の遺書に残した言葉である。「自然はこういう僕にはいっそう美しい。自然の美しいのは、僕の末期の目に映るからである。」私は、自殺をしようとしているわけではないが、来年もういちどこの光景を見ることができるだろうか、という杞憂をいだきながら、自然を見ることがだんだんに多くなっている。

苗代を見て来し心美しき 松本たかし

畑に行くことが続いて、炎天下に汗を流しながら草むしりする機会も多くなった。畑で野菜たちを見るこては、また違った楽しみがある。トマトやキュウリに、声をかけながら手入れをする、という話をよく聞くが。ベランダで水やりをする、ことにも似て、野菜を家族の一員として見ている時がある。その樹勢の勢い、花の元気さ、畑は手をかけただけ、元気な野菜をそのご褒美として手に入れられる。野菜は、そのなかに世話をする作り手の心を映している。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

羚羊

2019年06月12日 | 日記

今日、三吉山の山中でカモシカに遭遇した。カモシカは羚羊という漢字があてられている。後ろにシカが着くので、ニホンジカの仲間と勘違いされるが、こちらはウシ科の動物で全く別種である。山中を歩いていると、こちらをじっと見て動かない。何か近づいてくるのか、様子を窺っている様子である。低山から亜高山帯に生息して、北海道と中国地方を除いた日本全土に生息している。日本の固有種で、特別天然記念物に指定されているので、勝手に捕獲したり、食用にすることはできない。

寒立ちという習性もあって、厳冬期の雪のなかでじっと立っている姿も見られている。聞いた話だが、マタギの間ではアオと言われ、肉として食べてもおいしいと言われている。天然記念物に指定され、保護されたので、生息数が増え、森の木の食害が問題視されたこともあった。食べるものは、草、芽、木の葉、樹皮、果実などで、ササなども食べている。冬になると、足で雪を掘って食物を探す。

人を襲うことはないが、刺激を与えたり、子を連れているときは、角で威嚇することもあるらしい。登山中といっても見かけるのは里山で、古い時代から、人の目にとまり、存在を知られていた。6月の季節は、出産の季節で、子を連れた母カモシカに出会うこともある。目は近眼で、遠くを見通すような視力を持っていない。じっと動かないで立っている姿を見るのは、胃で反すうをしているためという説もある。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヒユ干し

2019年06月11日 | 農作業

芒種も過ぎて、梅雨寒の畑はスベリヒユの成長が盛んだ。ホウレンソウやシュンギクの畝の間を埋め尽くし、ホウレンソウの畝を占領するような勢いだ。野菜作りには、邪魔なだけの雑草だが、この地方ではこれを食用にする。出始めのものは、二度ほど採ってきて茹で、辛子醤油で食べる。食べず嫌いでほとんど口にすることはなかったが、この年になっておいしく食べられるようになった。色々調べてみると、カリウムや鉄分を含んで、野菜に負けない栄養もあるらしい。

あまりの成長に畑中のヒユを食べ尽くすわけにもいかない。そこで考えられたのがヒユ干しだ。大きく育ったヒユを根を取ってさっと茹で天日に干す。雨模様でなかなか乾燥しないが、大きな笊に広げて風に当てる。陽がさしてくると次第に乾いてヒユ干しが出来上がる。冬になってこれを戻して、煮物にするが、日向の匂いがして懐かしい味である。ゼンマイやワラビの干したものは高級品で、市場で買っても高額だが、ヒユは原価ゼロでこの味が楽しめる。畑の雑草対策と、冬の食料確保と一石二鳥の作業だ。

テレビの県民ショーで、山形が時おり出てくる。ユーモアタレントが自虐的に山形県民は草まで食べる、と喧伝している。ヒユ干しはその最たるもと言えそうだが、そこには長い間、土と格闘してきた農民の知恵が息づいている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする