常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

桜桃忌

2019年06月20日 | 日記

ラインのグループに、家族というのを作ったと、前に書いた。ベランダで仙人掌の花が咲いた。この花は、もう20年も前、娘が仙人掌に凝っていて、余った鉢を貰ってきたものだ。そこで、ラインに20年前の仙人掌がまた今年も咲いたと書き込んだ。しばらくして、孫からキレイ、娘からいいね、の書き込みがあった。小さな鉢のためか、仙人掌の大きさに変化がない。冬を越すと、肥料も水も与えないのに、いい花を咲かせてくれる。

例年、恒例となっているサクランボの季節だ。一年の挨拶に、遠くの親せきにサクランボを送っている。依頼している農園から電話で、今日発送が完了した旨の電話が入る。これも、ラインの家族へ、書き込んで知らせる。先方でも心待ちにしているのか、ありがとうの書き込みがすぐに返ってくる。思えば、通信が便利になったのを実感する。6月19日は桜桃忌、太宰治が玉川上水に投身自殺して、その遺体が見つかった日を忌日としている。昭和23年のことであった。

昭和16年12月、太宰は「私信」と題する短文を都新聞に書いている。叔母あての手紙の形式をとっている。

「朝めざめて、きょう一日を、充分に生きること、それだけを私はこのごろ心掛けて居ります。私は、嘘を言わなくなりました。虚栄や打算でない勉強が、少しずつ出来るようになりました。明日をたのんで、その場をごまかして置くようなことも今はなくなりました。一日一日だけが、とても大切になりました。決して虚無では、ありません。」

昭和16年といえば、私が生まれた年だが、2年前に美智子と再婚を果たし、長女園子が誕生した年である。文学の方面では、佳作を次々と生み、安定した時でもあった。前年、『女生徒』が北村透谷賞の副賞、『女の決闘』、『駆け込み訴え』『走れメロス』で定評を得、原稿依頼が増えていった。この年には、『東京八景』、中編の『新ハムレット』を書いている。生母たね、病気見舞いに帰省するなど、私生活面でも平安な時代であったと言えよう。しかし、時局は次第に緊迫して太宰が書くものに、変更や削除を求める時代がそこまでやってきていた。


 

 

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紫陽花

2019年06月19日 | 

 

年に一度、公民館で行われる健診の日である。パラパラと降る梅雨空のなか、公民館に着くと、その花壇に紫陽花の花が咲いていた。毎日、血圧を計り、毎月、血糖値を計り、健診の日には、胃がんや大腸がんの検査をする。今年から、歯周病の検査もできるようになった。こちらは歯科に通って、口中の消毒を行っているので、省略。健康に大きな不安はないが、加齢ととも、あらゆる病気のリスクは高くなっていると承知している。せめて、足の筋肉を鍛えることで、これからの一年を健康に生きることが、一番の目標である。体重が62㌔で、目指していた理想であることに一安心。

思ふ事紫陽花の花にうつろひぬ 内藤 鳴雪

紫陽花の七変化、という言葉がある。咲き初めの青から、少し白味が加わり、深い紫碧となり、やがて紅を帯び、茶褐色となって枯れて行く。通りがかりしかこの花を見ることがないので、本に書いてあるように紫陽花の花が色を変えていくことを観察したことはないが、確かに見るごとの紫陽花はその印象を変える。梅雨冷の雨のなかに咲く、紫陽花が一番美しいよに思う。

紫陽花は山に自生するガクアジサイを改良したものだが、万葉集にこの花を詠んだ歌が二首ある。その表記は味狭藍である。花が集まって咲く様子を、その人や家が子をたくさん産んで栄えているシンボルとして、縁起のいい花とされている。しかし内藤鳴雪が詠んだように。老いの身には、自分が思っていたことがらが、次々と移ろっていくのは、ややさびしい気がする。


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ストロベリームーン

2019年06月18日 | 日記

タチアオイ

昨日、満月であった。この頃、昼の月が何故か気になる。青空のなかに、日に照らされた月が、雲に同化するように浮かんでいる。夜に見る月より、懐かしい気がする。次第に丸くなっていく昼の月を、3日ほど前に見たばかりだが、昨日になって梅雨どきの満月になった。新聞にストローベリームーンという名が出ていた。初めて聞く言葉だが、アメリカインデアンが名づけたらしい。インデアンは季節ごとに満月に名を付ける。6月は、イチゴが熟する季節だから、こう名づけられたらしい。芋名月、豆名月という呼び方に似ている。この季節、海から出て来る満月が水蒸気を含んで、赤く見えるので、その場所では、いっそうふさしいネーミングになっている。

谷崎潤一郎に『月と狂言師』という短編がある。谷崎は京都の南禅寺に住んだが、隣にある聴松院というお寺を住まいにしている狂言愛好家と親しくなり、その一家が師の前で、狂言の発表をする席に招かれた。そこで一家の狂言を見、師の特別の舞いを見、夜には、酒を供され、折からの満月を一緒に見るという話である。狂言愛好家の月見は変わっている。屋根を上に舞台が作られ、それを見る席が設けてあるのだが、いよいよ月が出る頃になると、一人が吟じながら、舞台に出て踊り始める。

「何だか月が大勢の合唱に釣り出されつつしずしずと舞台へセリ上って来る感じで、その堂々たる出方は千両役者が登場するようでもある。「東遊びの数々に (繰り返し)」と山内さんの母堂が言う。「その名も月の宮人は、三五夜中の空の上・・」と大勢が謡う。「月は一つ、影は二つ、満汐の、夜の車に月を載せて・・・」「月海上に浮かんでは、兎も波を走るか・・・」月はすでに山の端を離れて池の面が輝きだした。円かな影が水に映っているばかりでなく、睡蓮の葉の一つ一つにも宿りはじめた。

戦後間もない昭和24年にこの小説は発表されている。荒廃した国土のなかに、このような風流が、生き生きと存在していたことに、深い感慨を覚える。谷崎は戦争中も、戦争にはかかわりを持たず、ひたすら日本的な耽美の世界に生き続けた。

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梅雨の晴れ間

2019年06月17日 | 日記

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畑にはキュウリ、ズッキーニの花が咲いた。シュンギク、小松菜が成長して収穫適期になった。エンドウ豆は、ここに来て終りを迎えつつある。あちこちで、タチアオイの花が咲いた。千歳山で足ならし、山中の花は終わって、小鳥のさえずりだけが聞こえてくる。少し寒気が入って、吹く風が汗ばむ肌に心地よい。雨のため2週続けて山行が中止になったので、この小登山がせめてももの繋ぎである。

しかし雨は捨てたものではない。集中豪雨で洪水や土砂崩れなどの被害は困るが、適度の雨は農作物や植物に、まして人が飲む飲料水の確保に、ぜひとも必要である。雨は、古来詩に詠まれてきた。ヴェルレーヌの『都に雨の降るごく』は、青春に愛唱した思い出の詩である。

都に雨の降るごとく わが心にも涙ふる。

心の底ににじみいる この侘しさは何ならむ。

大地に屋根に降りしきる 雨のひびきのしめやかさ。

うらさびわたる心には、おお 雨の音 雨の歌。

かなしみうれふるこの心 いはれもなくて涙ふる。

うらみの思あらばこそ ゆゑだもあらぬこのなげき。

恋も憎もあらずして いかなるゆゑにわが心

かくも悩むか知らぬこそ 悩のうちのなやみなれ。

ヴェルレーヌの生涯は波瀾に満ちたものであった。1873年7月、同じ詩人のランボーを拳銃で負傷させ、監獄へ投獄された。この詩はランボーへ捧げられたものである。獄中生活のなかで、ヴェルレーヌは、キリストへの深い信仰を得た。

 

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人知れず微笑まん

2019年06月16日 | 日記

1960年6月15日は戦後日本にとって特別な日であった。日米安保条約の改定に反対する運動は、大きな盛り上がりを見せ、国会へ請願するデモ行進は、増加の一途を辿った。5月19日に岸内閣は、国会の審議を突然打ち切り、条約関連の法案を自民党単独で強行可決した。そして、6月15日、抗議のデモは10万を超え、夕刻まで、南通用門で警官隊とデモ隊の衝突が続いた。

薄暮の7時ころ、警備の警官隊が学生たちに押される形で、奥へ引き、デモ隊が国会のなかに入った。そこを目がけて警官隊が排撃の攻勢に出た。激しくもみ合うなか、中へ入ろうとする後続と、警官隊に押し返される先陣が、ぶつかり大きな転倒が起きる。下になった学生の上に倒れ込む学生が何人も積み重なった。こうした混乱の中で、一人の女子学生が命を失った。東京大学の女子学生、樺美智子さん22歳。

樺さんの遺稿というべき一つの詩がある。まだ高校生であった頃に書かれたものだ。

 最後に 樺 美智子

誰かが私を笑っている

こっちでも向うでも

私をあざ笑っている

でもかまわいなさ

私は自分の道を行く


笑っている連中もやはり

各々の道を行くだろう

よく云うじゃないか

「最後に笑うものが

最もよく笑うものだ」と


でも私は

いつまでも笑わないだろう

いつまでも笑えないだろう

それでいいのだ


ただ許されるものなら

最後に

人知れず ほほえみたいものだ


この日を境として、デモの高揚は潮が引くように引いていった。岸内閣が退陣し、7月19日、所得倍増を掲げる池田内閣が登場する。日本の長く熱い政治の時代が終焉し、経済の時代へと大きく舵が切られた。やがて高度成長へと向かっていく。いまの時代を、樺さんは、草葉の陰からどのように見ているであろうか。


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