常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

連翹

2021年04月05日 | 
桜はほぼ満開になった。あれほど、待っていた開花だが、満開になってしまうと違う花に目が行ってしまう。飽きたわけではないが、木いっぱいに鳥の翅のような黄色い花は遠くからでもそれとわかる。気温がやや下がって、朝の散歩もすがすがしい。

行き過ぎて尚連翹の花明り 中村汀女

満開の桜に花に、たくさんのヒヨドリが集まっている。ついこの間、静かで川の流れだけが聞こえてくる桜並木であったが、饒舌なヒヨドリの楽し気な談笑が聞こえてくる。家に帰って写真を吟味して見る楽しみがある。フォトの機能を使って、花たちのショットをビデオに編集する。テレビではメジャーリーグで活躍する大谷活躍が映し出されている。

今日先制となる2号ホームラン、投げては4回まで無失点だが、5回に試練が待っていた。2アウトから最後のバッター三振に打ち取ったと思ったところで振り逃げされて同点。勝利投手の権限が無くなって交代。次の二刀流に期待。
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清明

2021年04月04日 | 日記
今日は、24節季の清明。万物発して「清浄明潔」と、中国の歳時記にある。清浄明潔を縮めて清明。寒食が明け、野に出て青草を踏み、先祖の墓参りをする風習も残っている。清明と聞いて思い出すのは、杜牧の詩。

清明の時節 雨紛紛
路上の行人 魂を断たんと欲す
借問す酒家何れの処にかある
牧童遥かに指さす杏花の村

この季節は雨が多い。この地方でも、昨日まで続いた晴天が崩れ、雨となった。雨のなかで、桜をはじめとする花々も、生気を増し一段と風情が豊かになっている。

雨が降っても、杜牧のように気を滅入らせることもない。花を愛でながら、居酒屋で一杯やるのは、古今変わらない人の気晴らしだ。コロナの感染が広がらないように、この楽しみを奪うことは容易なことではない。

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発酵食品

2021年04月03日 | グルメ
汗ばむような陽気である。開花が宣言された桜は、一気に3分咲きになった。青空に花の色がマッチする。コロナの終息が見えないなか、食生活に変化が見えている。毎日の食事に意識して取り入れているのは、発酵食品だ。免疫力のある身体を意識している。毎朝、必ず食べるのはみそ汁である。味噌は大豆と米麹に塩を加えて発酵させたもので、タンパク質が多く含まれている。野菜などの具を入れて、味噌汁とするのは日本特有の食文化と言える。わが家では、季節の野菜のほかに一粒の牡蠣、数粒の銀杏を入れて飲むのが習慣であるが、そこへ溶けるモッツァレラチーズが加わった。味が一段と深まり、栄養もかなりいけそうな気がする。

朝食にはこのみそ汁に加えて、辛子メンタイ、キュウリの糠味噌漬けがつく。ときには、納豆や梅干しなど、長く食べ続けてきた発酵食品である。食品の保存が発酵食品のそもそもの始まりであるが、それを司る微生物菌の研究が進むにつれて、健康維持にも大きな役割を果たしていることが分かってきた。糠のなかには豊富な栄養成分が含まれているが、発酵の際には新たなビタミンなどの栄養成分が作られる。糠床の栄養は、漬けられた野菜にも浸透して、栄養がプラスされる。

毎日食べる発酵食品に手製のヨーグルトがある。昼は麺類を食べるときも多いが、バナナやリンゴなどの果物にヨーグルトをかける。500㎖ほどの瓶で作っているが、妻と二人でひと瓶を食べてしまう。かけるジャムはブルーベリー。ヨーグルトには原料である牛乳由来の良質なたんぱく質が豊富だ。発酵されたことによって消化吸収が非常によくなっている。造血作用のあるビタミンである葉酸が蓄積されている。ポパイで有名になったほうれん草にもある葉酸で、元気のもとになる。

煮ゆる時蕪汁とぞ匂ひける 虚子
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2021年04月02日 | 
P4012581

自分が育った家は、北海道の石狩川に面していた。家から川の方へ行くと、堤防があり、川が蛇行していた。その堤防に、ぽつんと一本の桜が植わっていた。多分、エゾヒカンサクラであったと思う。雪がとけても、桜が咲くのは5月であった。ほかに目ぼしい花もなく、淋しげに春を告げた。小学校4年のとき、川の上流にある名勝地、神居古潭まで遠足に行った。子どもの足で3時間ほどかかる大遠征であった。大きな吊り橋があり、川べりに桜並木があって、大人たちが花見の宴会をしているのを初めて見た。ここは、両岸に岩山が迫り、狭い渓谷をなしている。対岸まで数㍍の川幅になるが、水は土砂を深くえぐり、水深は数十㍍に及んでいる。酒を飲んだ若者が、強がって川へ入ると息巻いている。それを見た小学生たちは怖ろしさに震えたのを覚えている。川には海から鮭が遡上し、この渓谷をこえて産卵した。先住民たちが漁業をめぐって部族で争った伝説が今に残されている。

ソメイヨシノの並木を見たのは、山形の学校へ入った昭和34年の春であった。入学式が15日であったが、校舎も、少し離れた馬見ケ崎川の畔でも、満開の桜が迎えてくれた。山形を花の町、という印象をその時もった。この町に生れた詩人、神保光太郎の詩がある。

私はとある食堂に入った
ぼういは慇懃に私をむかへて
白磁の皿にいっぱいの料理をはこんできた
窓には
花が爛漫と咲き零れ
道行く人は
みんな眩しそうに花をあふいで
春の挨拶をした

豊かな町で      (神保光太郎)

桜は朝の清々しい空気のなかで、その輝きを増す。動画はカメラが無駄な動きをしているが、花の色がよく出ている。一夜明けて花は数を増し、蕾が我も我もと、咲く準備に忙しい。ヒヨドリが鳴きかわしながら、花が咲いたのを喜んでいるかのように飛び回っている。桜の花には、コロナの感染を恐れる人の心には、無関心に美しく咲くことのほかに余念はない。
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カタクリ

2021年04月01日 | 登山
春は花が次々に咲いて、ブログを書くのも忙しい。桜はまだかと待っていたが、今日はいよいよ花が開いた。里山ではカタクリが満開だ。花にも写真映えというものがあるらしい。カタクリの花は、写真で見る方が実物よりも風情がある。都会では自分だけが知っているカタクリの咲く秘密の山というものがあるらしい。たくさんの人が訪れるようになると、荒されたり、中には盗掘されてすっかり花がなくなってしまうことも珍しくないようだ。枯れ葉の上にいち早く花をつけ、太陽を独り占めにして種子をつけると、そのまま枯れて地中の宿根(球根)で生き続ける。この根から取るのが片栗粉だ。

春先だけ姿を現し、花を咲かせて、地中に眠る植物をスプリング・エフェメラル(春の妖精)という。カタクリのほか、ニリンソウ、キクザキイチゲ、フクジュソウ、セツブンソウなどがある。カタクリの種子には、黄色いエライオゾームという物質がついている。この物質をアリが好むため、地中に落ちた種子はたちまち蟻の巣に運ばれる。アリはこの先端だけを巣の中に運び、種のところは巣の外で捨ててしまう。こうして、カタクリはその分布範囲を広げていく。しかし、種から発芽しても、花を咲かせるまで8、9年という長い年月がかかる。アリとのこんな共存関係があって、カタクリが一面に咲く里山の斜面ができる。

開花したカタクリの花の蜜を求めて、羽化したばかりのギフチョウがやってくる。この里山にもギフチョウが見られるのかは知らない。ギフチョウは「春の女神」と呼ばれる。鳥海山から南に分布する、日本固有のアゲハチョウである。最初に採取された標本が岐阜であったので、この名がついた。春の妖精のまわりを、春の女神が飛ぶ姿を見てみたいものだ。

はつ春の蝶の舞ひゆく森かげに
 さやかに咲けるかたくりの花 高橋達明


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