常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

清明

2022年04月05日 | 日記
日、24節季の清明。うららかで万物が若々しい季節である。たくさんの花が咲き、温風が頬をなで人々は楽しく郊外に遊ぶ。小川で遊ぶカルガモも、この清明節を楽しんでいるように見える。昨日までの低温が去って、いよいよ春本番。桜の花も数日のうちに咲きそうである。陶淵明の詩

今日天気佳し
清吹と鳴弾と
彼の柏下の人に感じては
安んぞ歓を為さざるを得んや

清吹とは澄んだ笛の音、そして鳴弾とは琴しらべである。柏の下の人とは、親か兄か、木の下で死の眠りについた人を偲べば、いまこうして生きているうちに歓を尽くすほかはない、と春の日を慨嘆している。

ブックオフで谷川俊太郎と加藤俊朗の共著『呼吸の本』を買う。220円也。最近、スマートウォッチの先導で3分間呼吸エクササイズを行っている。寝る前のひととき、複式で息を吐ききって、腹を大きく膨らませながら息を吸う。スマホの出す音に合わせてリズミカルなエクササイズだ。この本を読んで、少し呼吸のことを考えてみることにする。面白いのは、加藤俊朗の紹介に、ブックオフで村上春樹の小説や空海を主人公にした小説を買って読んでいると紹介されている。その人の本がブックオフにあったのは面白い偶然である。

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春雨

2022年04月04日 | 日記
春雨にぬれて桜の蕾がふくらんで来た。気温があがる明日あたり、一輪、二輪の花をみることができるかも知れない。東京では、今日は花を散らす雨になっている。今朝のお天気クイズは、きょうまで桜が一番長く咲いているのは何処?で三択は東京、岡山、鹿児島であった。鹿児島が12日で一番、次は東京の7日、そして岡山は3日ということであった。東京はもう散り始めているから、桜は一週間ほどで花が見えなくなる運命にある。漱石の句に

春雨の夜すがら物を思はする 漱石

漱石にしては少し艶っぽい句だが、物を思う対象は、上野の山の桜であったかも知れない。散って行く花を見て、心ふせぐならば、蕾のふくらみをみながら、明日か、次の日かと期待している方が楽しいのかも知れない。散る桜の下で悲しむ詩人、萩原朔太郎の「桜」と題する詩の一編。

桜の木の下にあまたつどひ居ぬ
なにをして遊ぶならむ。
われも桜の木の下に立ちてみたれども
わが心はつめたくて
花びらの散りておつるにも涙こぼるるのみ
いとほしや
いま春の日のまひるどき
あながちに悲しきものをみつめたる我にしもあらぬを。


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春は駆け足

2022年04月03日 | 日記
水仙、沈丁花、辛夷などが花を開き、山では雪解けがすごいスピードで進んでいる。この季節いつも思うのは太陽のエネルギーの巨大さだ。文明がどんなに進もうと、このエネルギーに匹敵する力を持つことはできない。きのう、里山の炭沢山に登った。その名からから、この深い山中で、近隣の人々が炭焼きに入ったことを想像してみる。水と木々、人はそのために、食糧を得、火のある生活を獲得してきた。松の緑と青い空、白い雲のコントラストが春を告げている。雪が溶け、ポカポカの陽気こそ、待ちに待った季節である。

テレビで津波で全滅した海岸の松林の再生の番組があった。一本のシンボルになった松だけが残って、全滅したかっての松林に植林された松が10年を経て2mほどの木に育っている。だがその木は1000本足らずで、他の多くはまだ苗の状態で地植えされている。溶岩流などで植物が全滅した山の岩の隙間に最初に出てくるのは、苔などの蘚苔類。その枯れたものが少しずつ土を造る。わずかに土ができたところに最初に芽を出すのが松。海岸や街道に植えられた松は、日本人の生活に密着している。里山に松が残っているのは、この松の下に出る松茸があったためであろう。燃えやすい松は、人々の冬の燃料としても重宝された。里山の松は、マツクイムシのために枯死するものが多い。

松が日本人に親しまれているは常緑樹であったためと思われる。常緑の木に生命の永遠を見、その木は神の依代とされた。お正月、門前に飾る門松は、この信仰を表している。

たまきはる命は知らず松が枝を
  結ぶこころは長くとぞ思ふ 大伴家持
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弥生尽

2022年04月01日 | 日記
三月を終え、今日から四月。年が明けて、年の1/3が過ぎたことになる。いよいよ待っていた陽光と花の季節が始まる。学校では新学期が始まる。先月の末から、スマホ教室にエントリー。年老いた身の新学期が始まる。応用マップ、入門カメラ、応用キャッシュレスの3科目。手足の衰えを補うツールとしてスマホをもっと使いこなすことが4月の目標になる。

四月始まる豁然として田がひらけ 相馬遷子

春は眠い。晩酌を止め、導入剤を止めて睡眠が深くなっている。あまり早く眠りに就くと、6時間後にはどうしても早く目が覚める。これは高齢になったことの証しであろうか。今朝は3時に目が覚めて、枕元に置いた河合隼雄『日本人とアイデンティティ』を開く。心理学の分野では、欧米で発達心理学が盛んになってきて、中年を過ぎても人間は死に至るまで発達を続けることに目が向けれれているという。しかし、東洋には『論語』、インドの四住期などの考えが古くからあり、古くから老いていくことを成熟へ道として捉えていたと指摘している。

「我十有五にして学に志し、三十にして立ち、四十にして惑わず、五十にして天命を知り、六十にして耳順い、七十にして心の欲するところに従えども矩を越えず」

改めて孔子のこんな言葉に触れて感慨が深かった。自己実現ということが、古今の聖人や学者に注目されていることが興味深く朝まで本を置くことができずに読み続けた。
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