ねことわたしのやわらかな日々

17年一緒に暮らした愛猫を亡くしましたが、日々のささやかな幸せを、
手のひらで温めて暮らしています。

第九に寄せて

2008年09月09日 23時13分16秒 | 音楽・アート
先日「第九」の3回目のレッスンに行ってきました。
宿題はあるし、進度は早いし、音程も発音も難しいし
ついていくのは、相変わらずとっても大変。

その大変さに余りあるよろこびが
第九にはあるから、不思議。
わたしはそもそも、シラーのこの詩が好き。

「いつまでも変わることのない友情を勝ち得た者、
誠実な妻を勝ち得た者は
ともにこの歓喜の歌に加わるがいい。
そうだ、たとえ一つの魂でも
自分のものと呼べる者は、誰でも。
そしてそれが出来ぬ者は
涙してこの集いから、そっと立ち去るがいい。」

最初は、なんて厳しい言葉かと思ったけれど、
自分のものと呼べる魂を一つも持たない者というのは、
誰からも愛されず、誰をも愛さない者のことなのでは。

だとしたら、そんな人などこの世にはいなくて、
ただ、それに気付かない人がいるだけ。
まわりにある愛がちゃんと見え、
感じることのできる者は幸福に至り、
それが出来ぬ者は、幸福にはなれない、
そういうことなのではないかと。

だから自分のまわりを包んでいる小さな愛や幸せに
ちゃんと心を開き、それに愛で応えることで
歓喜の輪に加わろう、ということなのでは。

素人の勝手な解釈だから
プロの人が聞いたら、あきれるかもしれないけれど。



今回、応募者の数が多かったらしく、
随分多くの方が、出たくても出られなかったことを知りました。
友達のお母さんやおばさんを始め、
毎年のように出てらした常連さんたちも当選できなかったと。

週末、会いに行った父に、
「年末はお父さんのために第九を歌うね」と言ったけれど
と同時に、出たくても出られなかった、
たくさんの人たちのためにも、精一杯歌わなくては。

父や、今回出られなかった方々や、
その他いつも励ましてくれる人たちに
わたしが第九を通じて出来る、ただひとつのこと。
それを、愛、と感じてもらえるように
下手くそでも、心だけは精一杯こめて歌ってみるから。

コメント
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