ねことわたしのやわらかな日々

17年一緒に暮らした愛猫を亡くしましたが、日々のささやかな幸せを、
手のひらで温めて暮らしています。

根拠のない確信

2010年07月19日 21時29分00秒 | 友人・仲間
梅雨が開けたと思ったら、いきなりの真夏日。
マンションが公園や神社に囲まれている私の部屋は
毎朝窓を開けると、セミの大合唱がブブゼラ状態。
テレビの音どころか、掃除機の音も聞こえないほど。

そんな中、今年も3年連続見事なクジ運を発揮して
「一万人の第九」の中でも一番の激戦区、
アルトパートで無事当選・・・したのに。

恐れていた通り、当選したレッスンのクラスが、
フランス語の授業の日時とモロかぶり。
来年は、佐渡さんの指揮で歌えるかどうかも
もはや分からないというのに・・・断念。
第九友達も、今年も一緒に歌えることを
とても喜んでくれていたというのに。

昨日その友達と会って、事情を説明して謝ると
友達は残念がりながらも、「また歌えるよ」って。
たとえしばらく佐渡さんの指揮で歌えなくなっても
またいつか必ず歌える日がくるよ、って。
なんか、その言葉にとても救われた思いがして。

(今日は実家に行ってきました。父の病院の空もすっかり夏空)

彼女はもともとシングルマザーで、
中学生の息子さんは、一昨年ひきこもりになり、
その上彼女自身、現在失業中の身の上なのに、
NGOでのボランティアを3つもかけもちしつつ、
勉強も始めるなど、精力的で元気いっぱい。
何だかとても幸せそうで、充実感に満ちていて。

「自分でもどうしてか分からないけど
なんか大丈夫、これでいいって気がするんよ」
わたしもそういうの、ちょっぴり分かる。
根拠のない自信や確信って、結構大切なもの。
わたしもこれまで、大きな決断をする時、
いつも決め手は、根拠のない確信だったから。

絶対大丈夫、どうにかなる、って確信していれば
大抵どうにかなるような気がする。
彼女のこと心配する気持ちは、消えたどころか
逆に大いに励まされてしまったかも。

だから私も、今年は佐渡さんの指揮で歌えなくても
いつか必ずまた歌える、と確信していよう。
彼女もわたしも、この先何があっても絶対大丈夫、
そのことを疑うことなく、確信していよう。

コメント
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