ねことわたしのやわらかな日々

17年一緒に暮らした愛猫を亡くしましたが、日々のささやかな幸せを、
手のひらで温めて暮らしています。

与えられた境遇で

2008年09月16日 21時15分01秒 | ねこ
みみにゃんの寝姿は
相変わらずとても面白い。
ちょっと静かになったなあ、と思うと
どこかでころんところがってお昼寝。

暑い日は床にころん。
少し肌寒ければ、ソファーにごろん。
家中どこでも
みみにゃんにとっては楽園らしい。



"Bloom where you are planted."
(与えられた境遇で花を咲かせなさい)
とは確か聖書の教えだけど
みみにゃんを見てると
それを自然にやっているみたい。
仔猫の時に無理やり連れてこられて
以来ずっと家に閉じ込められているようなものなのに。
それでも、みみにゃんはその境遇で
じゅうぶんに幸せそう。



でも考えたら、木も草も野の花も
岩場であろうと溝であろうと
自分が置かれた場所で精一杯葉を広げ、
虫も動物も、みんなそうしてる。
置かれた場所に文句を言ったり
うらんだり、ねたんだりするのは
つまり、人間だけってことか。

みみにゃんのボンレスチックな寝姿も
いろいろなことを教えてくれるものなのでした。

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夏萩

2008年09月13日 19時10分40秒 | 自分自身
近所の大きなお屋敷の塀から
あふれんばかりに枝を伸ばす、緑豊かな夏萩。
わたしの背よりも高い大きな萩だけど、
日に日に枝先を伸ばしていって、
地面に触れる日も間もなくと言ったところ。

ああ、花の咲く日が待ち遠しいな。
わたしはこぼれるように小花をつけて
風に揺れる、萩の花が大すき。



そういえば、明日はもう中秋の名月ですね。
静かに虫の音を聴きながら
月をながめたりする生活に憧れる気持ちとは裏腹に
今のわたしの生活は、物理的にも精神的にも
どうしてこんなに余裕がないのかしら。

自ら好き好んで、忙しくしてしまった分が半分、
避けられるものなら避けたいけれど
避けられずに、降りかかって来たものが半分。

不安も心配もてんこ盛りの状況だけに
とにかく心配の先取りだけはやめよう、と
心に何度も、繰り返し言い聞かせる毎日。

わたし実は、必要以上に心配性で
それが多分、わたしの心を弱くしている最大の弱点。
起こってもいないことを先に心配して
体調を崩したり、眠れなくなったりするのは
馬鹿げてると分かってはいても。

だから、これはその弱点を克服するための
いいチャンスなのかもしれない。
必要なだけ心配したら、あとは天にお任せ。
自分に出来ることを精一杯やったら、
あとはこれまた、天にお任せ。

人生には、その人に必要なことしか起こらない、
と、何かの本で読みました。
その真偽はどうあれ、
何があっても自分に必要なこと、と信じれば
心配も不安も、なくなることでしょう。

だからわたしはもっと、自分の人生を信じよう。
自分に起こることすべてを、信じよう。

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第九に寄せて

2008年09月09日 23時13分16秒 | 音楽・アート
先日「第九」の3回目のレッスンに行ってきました。
宿題はあるし、進度は早いし、音程も発音も難しいし
ついていくのは、相変わらずとっても大変。

その大変さに余りあるよろこびが
第九にはあるから、不思議。
わたしはそもそも、シラーのこの詩が好き。

「いつまでも変わることのない友情を勝ち得た者、
誠実な妻を勝ち得た者は
ともにこの歓喜の歌に加わるがいい。
そうだ、たとえ一つの魂でも
自分のものと呼べる者は、誰でも。
そしてそれが出来ぬ者は
涙してこの集いから、そっと立ち去るがいい。」

最初は、なんて厳しい言葉かと思ったけれど、
自分のものと呼べる魂を一つも持たない者というのは、
誰からも愛されず、誰をも愛さない者のことなのでは。

だとしたら、そんな人などこの世にはいなくて、
ただ、それに気付かない人がいるだけ。
まわりにある愛がちゃんと見え、
感じることのできる者は幸福に至り、
それが出来ぬ者は、幸福にはなれない、
そういうことなのではないかと。

だから自分のまわりを包んでいる小さな愛や幸せに
ちゃんと心を開き、それに愛で応えることで
歓喜の輪に加わろう、ということなのでは。

素人の勝手な解釈だから
プロの人が聞いたら、あきれるかもしれないけれど。



今回、応募者の数が多かったらしく、
随分多くの方が、出たくても出られなかったことを知りました。
友達のお母さんやおばさんを始め、
毎年のように出てらした常連さんたちも当選できなかったと。

週末、会いに行った父に、
「年末はお父さんのために第九を歌うね」と言ったけれど
と同時に、出たくても出られなかった、
たくさんの人たちのためにも、精一杯歌わなくては。

父や、今回出られなかった方々や、
その他いつも励ましてくれる人たちに
わたしが第九を通じて出来る、ただひとつのこと。
それを、愛、と感じてもらえるように
下手くそでも、心だけは精一杯こめて歌ってみるから。

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昨日は白露

2008年09月08日 22時15分32秒 | 花・自然
二十四節気で「白露」というのは、
朝の野草に宿る露に秋を感じ、
虫の音が夜毎に盛んになる頃ですって。

日中はまだ30度を越して暑い日が多いけれど
確かに夜になると淋しげな虫の音が
しのび寄る秋を思わせる。

そういえば職場近くの街路樹も
ほんの少し、色づき始めたみたい。



朝晩の温度差も次第に大きくなり始め
そのせいか、少し風邪気味だけど、
この秋は、わたしには公私共に
本当にいろんなことがあるから、
寝込んだりしないように、気をつけなくちゃ。

そしてそれらも、苦しいことだけじゃないから、
喜び、楽しみも、胸にちゃんと抱きとめて
わたしの大きさのままで
わたしなりの秋にしよう、と思うのでした。

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母へ

2008年09月04日 22時48分35秒 | 家族
父が倒れて、間もなく4ヶ月。
今日は父は、全身麻酔で手術を受けました。
やっと流動食が自分で食べれるようになったのに
体力を維持できるほどは食べられないため
結局、胃に直接チューブを入れることになって。

自分の口から、たとえ流動食と言えども
少しでも食べられたのにと、残念な気もするけれど
会いに行くたびに、小さくなっていく父を見ると
やはりこの方が良かったのだと、信じつつ。

わたしは仕事で、付き添えなかったけれど
母はずっと付き添っていたそうです。
すっかり痩せてしまった父の手術が終わるの待つ間
母はどんな思いでいたことか。

こんな時に、傍についていてあげられないような
役に立たない娘で、本当にごめんなさい。



理性ではその方がいいと分かっていても
心情的に受け入れるのが辛いということは
世の中には、幾らでもある。

ましてや70を過ぎた母には
受け入れられないことの連続だったに違いない。
50年もの年月を共に過ごしてきた伴侶が
ある日を境に、自分の傍からいなくなったのだから。
そして、期待よりも厳しい現実を
次々に突きつけられ続けたのだから。

どんなに簡単な手術と言われても
すでに弱っている父に痛い思いをさせるというだけで、
眠れなくなるような、そんな母にとって。

様々な手配は、姉が一手に引き受けてくれていて、
妹も身を削るようにして頻繁に行ってくれているとはいえ、
実家に一人残された母の心情までは
たとえ娘でも、十分に救ってあげられるはずもない。
ましてや、誰よりも遠く離れていて、
しょっちゅう会いにいけないわたしなどでは。

だから、いろんなことを受け入れられずに戸惑い、
どうしたいかも答えられずにいる母に対して、
苛立ったり、ましてや責めるような態度を取ってはならない、と
それだけは、心に固く固く、誓いました。

頭での覚悟と、胸の中のどうしようもない淋しさの狭間で
割り切れぬ思いでいる母の孤独と悲しみに、
せめて、寄り添っていてあげなければ。

ずっと傍にいてあげることは出来ないけれど
気持ちだけは、いつも傍にいます。
何も出来ないけれど
あさってにはまた、会いに行くから。

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