「馬ふん風」
自動車の普及以前は動力と言えば、馬でした。どこの農家でも農耕用の馬を飼っていて、街に出かけるのも馬車であったり、馬橇であったりしました。
街に来た馬は道の途中であっても団子状の馬糞をたれますので道路にいくつも置き忘れしていきました。俗にいう垂れ流しのそのままでした。
むかしはおうようなもので、馬主も馬のした糞はそのままにしていってしまいます。今ではお尻の所に袋をさげているのを見ますが、時代が違います。ここまでは許せるのですが、春になり、雪が解けて道に垂れ流しの馬糞が粉粉になり乾燥すると、春風、夏風によって舞い上がり、あの札幌名物の馬ふん風となります。
馬ふん風の独特なにおいに札幌市民が悩まされました。日本書院発行の北海道編の地理の専門書にもこの「札幌の馬ふん風」の説明があったほどです。
札幌でもこの有様でしたから、郊外の主要道路では馬ふん風はすさまじい物でした。車の時代を迎える前までは何とも思わなかったのですが、車が走り出すと砂利道にたれた馬ふんの粉は容赦なく舞い上がり、車が来るたびに鼻をつまんだり、風のない方向に顔を背けたりと大変でした。何せ前が見えないほどのすなけむり(馬ふん風)なのでした。馬糞の粉が舞い上がっていました。
アスファルトの時代になると馬ふん風もあまり気になりませんでしたが、砂利道ではすさまじい馬ふん風でほこりとともに人を悩ましました。
終戦の次の年、一年間女満別小学校(現・大空町)に4㌔ほどの道を毎日自分の足で通いました。終戦後の何年かが馬ふん風の全盛期でした。冬になると馬糞はすぐにかたまり、子どもたちは馬糞けりをするのですが、ゲームの玉として使いました。
馬糞のかたまりがあてられたら鬼となるゲームですが、それはそれで、春・夏には馬ふん風のもととなったのです。
馬ふん風の言葉も知らない時代に今ではなっています。