ストローバレイ家の介護奮闘記

90→→92歳の母を支える4姉妹の泣き笑い奮闘記・・とその後

能、狂言と踊躍念仏

2020-11-08 13:48:13 | 日常
           

11月6日、国立能楽堂で行われた「能、狂言」と「踊躍念仏」というちょっと変わった趣向の公演を、夫と観てきました。

「番組」は、金春流能楽師・山井綱雄さんによる公演の説明、狂言「名取川」、時宗「踊躍念仏」、能「誓願寺」という構成。

山井さんは、始めの公演内容の説明の中で、特に、今回時宗の僧侶たちが舞台で「踊躍念仏」を演じることの特別な重みと、それに能「誓願寺」を繋げる意義を強調していました。

狂言「名取川」は、プログラムによると、『比叡山で受戒して法名を得た僧が、故郷への帰り道に川を渡ろうとしたところ川中で転び両袖に書きつけた法名も消えてしまい・・・』という分かり易いドタバタ劇。シテとアドの掛け合いも面白く、私でも十分に楽しめました。

時宗僧侶による「踊躍念仏」。今回の公演に行く気になったのは、最近家籠りの暇に飽かして読んだ司馬遼太郎の「箱根の坂」の中で、時代背景として時々出てくる「踊り念仏」がどんなものなのか、一度味わってみたいと思ったのが切っ掛けでした。

チラシには、『時宗開祖・一遍上人が鎌倉時代に流布。「踊り念仏」とお札を配る賦算で全国を遊行し民衆を極楽浄土へと導いた。踊り念仏は南無阿弥陀仏を称え、カネや太鼓を叩きながら踊ることによって、全ての人が阿弥陀仏に救われ、その喜びのあまり自然に体が踊りだしたことに由来』とあり、私は、動乱の時代に民衆を巻き込んでいった『躍動感溢れる踊り』をイメージしていました。

けれど、舞台上の「踊躍念仏」は、踊りというほどの動きはなく、現在時宗で行われている様式そのままに、導師と調声(リードボーカル)を含めた6名(今回は8名)の式衆、計7名(今回は9名)が、20分間ひたすら鉦を打ち鳴らし念仏を称える、カンカンという鉦の音が直接骨の髄に響く、なかなかハードなものでした(ヘトヘト)。

能「誓願寺」は、『一遍上人が「南無阿弥陀仏決定往生六十万人」の札を人々に配る。上人は「南阿弥陀仏と唱えればあまねく一切往生できる」と説く。すると芳香ただよい花が降り、歌舞の菩薩となった和泉式部が現れ、誓願寺の縁起を語る。そして、念仏の功徳と一遍上人をたたえる舞を舞い、現れた阿弥陀如来と二十五菩薩と共に一遍自筆の額に合掌礼拝するのであった』(プログラムより)というもの。

山井さんの説明時の『約2時間続く舞台で眠くなるかもしれませんが、時に居眠りしながら見てリラックスしていただくのも「能」の効用です』という言葉に従って、私自身、一遍上人と和泉式部の長い掛け合いの時間帯は、半分くらいウトウトして「踊躍念仏」で疲れた神経を休ませていました。

総じて、すっきりシンプルな作りの舞台、役者の美しい所作、笛、小鼓、大鼓、太鼓の澄み渡った音色、朗々と響く地謡と、伝統芸術の粋を堪能したひと時でしたが、最終的に、「中々得難い、面白い体験でしたね」「でも又来たいか、といえば、もうしばらくは良いかな、というところですね」というのが、夫と私の一致した感想でした。(三女)
コメント
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