「しゃら」は「とても」や「非常に」や「まったく」の意。
※後ろに続く言葉の内容を強調します。
例文
「しゃら こすい」=「ずる賢い」
「しゃら すげー」=「とてもすごい」
「しゃら おかしい」=「非常にばからしい・笑止だ」
「しゃら ごうがわく」=「とても腹が立つ(しゃくにさわる)」
「しゃら やあらしい」=「非常にいやらしい」
「しゃら おもしろく ねー」=「まったく面白くない」
「しゃら うれしい わやー」=「とても嬉しいです」
「しゃら うるせー やつ だ」=「とてもやかましい奴です(面倒くさい奴です)」
「しゃら うっとうしい やつ だ」=「非常にうっとうしい奴です」
「しゃら めんどくせー こん ゆうな」=「とても面倒くさい事を言うな」
「しゃら やかましいー。 すこし だまってろ」=「うるさい。 少し黙っていろ」
しゃらうるせーとかしゃらおかしい、
誇張した話し方の時、使っている人いましたね。
忘れている松本弁が意外に多いとあらためて思います。
が、一度県外に出て生活をしてみると、標準語を話していると思っていてもその中に、きらめくように松本弁をちりばめて話していることに気づかされます。
私もそうでした。
言葉だけでなくイントネーションもそうですね。
方言も長い歴史の中から作り出された文化だと思います。
松本は標準語に近いと青春時代から思ってました。
学生時代、関西の方々のほうがイントネーションも大きく関東とは違っていたからです。
ですが、松本文化はあるのですよね!!
昨日、実家の兄からメールが来まして「むらってあるかや」でした。
一瞬・・?でした。
「むらってある」は「もらってある」という意味で、義理をいただいてあるかということでした。
兄のほうが、わたくしより方言が残っているような物言いをします。
もちろん、社会人としてあちこちへ出張などしているわけで、公の場ではきちんとした話し方はするのですが、
時折!きらめくような(いい言葉ですね)言葉が出るのです。
「おてしょう取ってくれや」とかね。
40年ほど前は、方言を使うと田舎者と馬鹿にされたような時代もありましたが、
芸能人などが使うことによっても見直され、決して方言を使うことは恥ずかしいことではないと、
方言に価値を見出したことは進歩だと思います。
ですが「シャラ」は知りません。
「ちゃんちゃらおかしい」は、子供のころよく飛び交いましたが。
高校の時同じクラスで仲の良かった仲間と月に一度ほど飲み会をやっていますが、多感な高校時代に同じ時間を共有して過ごした仲間と、松本弁たっぷりの話に浸かりながら飲む酒は格別です。
「おてしょ」は「御手塩」が変化したもので、「御手塩」は宮中の女官言葉と言われています。
宮中の文化と一緒に日本全国に散らばった言葉だと思いますが、時を経るに従って廃れてしまった地域が多く、松本には変化して残り「おてしょ」として方言となっています。
その昔、この田舎の松本にも宮中の文化が伝わっていた事に驚きます。
生まれ育った松本の地の言葉を廃れないようにするために、日常生活の中では遠慮せずに松本弁を使うようにしています。
方言が廃れゆく原因は、「方言を使う」=「田舎者」=「恥ずかしい」という意識と、ラジオやテレビの普及があげられると思います。
ラジオやテレビの普及は視野を広げてくれましたが均質化という現象も起こし、意識しない中での異質なものの排除という動作を無意識に行っている事に自身気が付くこともあります。