日本画は、
『与謝蕪村』'08ミホ
『若冲』'09京都国立博物館
『等伯』'10ミホとここ近年、恵まれている。
実際に見てみたいと思ってきたものと
遠出することもなく、次々に出会いを果たしているのだ。
それでいて、今回ほど心を揺さぶられたのは
『
鳥獣戯画』以来だろうか。
一幅の『
双雀図』、握れば小さな鼓動さえ感じ取れそうな雀。
細密画のような写実ではない。それなのに、たしかな存在感。
写真以上に、ソノモノを感じさせる画力のせいで、
『奇』を『奇』に感じないで受け入れてしまう自分がいた。
『
富士越鶴図』
照明の効果もあって、日と富士と鶴と雲が、大気が怖ろしいほどの
奥行きと広がりを創り出していた。
機上の視界。
鶴の群れも富士山も見たことのある景色のように感じる。
でも、「え?」
「芦雪は、神の視野を持つのか。」
同じ視野のふしぎは『
絵変わり図屏風』でも。
こちらでは、芦雪の視線は鯨の背のはるか上から
海上の船団を見下ろす。
発想・感性・技術すべてやすやすと
一気に描いているかのような筆のあと。。。
この人は筆を止め表現に悩んだことなど
ないのではないか・・・
この天才の傍らで、応挙の兄弟子達は
煮え湯を飲む思いをしなかったか・・・
・・・いらぬことまで考えてしまう。
図録は、まだじっくりと目を通していない。
細部のアップなど含め絵も
画家とその周辺・作品についての説明文も、
なかなかの見ごたえ・読み応えがありそう。。。
あれこれ片付け、お茶を用意して
ゆっくり腰をすえてあける日が楽しみだ。
追記:
実家の裏の建物を解体する際、
呼ばれたオットさんは小さな我が家の床の間に
あいそうなこぶりの軸を二幅持ち帰った。
草に止まったキリギリスとムクムクとした仔犬の絵。
両方とも、ボロボロ。
それでもワシとか鶴とか、竹とか、
いかにもの床の間の掛け軸的な絵の仰々しさがなくて
オットさんらしいセレクトだと微笑ましく思っていた。
ところが、箱に『雪犬の畫』と描かれた犬の絵は
芦雪の署名や落款を観て帰宅した私のチェックで
「応挙の犬の摸写らしい、可愛い犬の絵」から、
「署名や落款まで似せた、結構悪質な『なんちゃって芦雪』」と
気がついてしまった。あるいは許可を得た美術印刷か?
どちらにしても、ほのぼのとした愛着は
すこしばかり、色あせてしまった。
かわいいことは、かわいいんだけど・・・