今回の三冊は、小説らしい小説ではなく、
物語らしい物語ではなく、目新しい奇想天外な
ストーリー構成がないという点が共通する。
前回の二冊の反動かな。。。
■ マリアが語り遺したこと
コルム・トビーン著、新潮社 (2014/11/27)
タイトルから予測できる通り、
イエスの母マリアの視点からイエスを描いている。
イエスはすでにゴルゴダの丘で磔刑され、
マリアを訪れてくる使徒に引きだされる回想。。。
使徒が苛立つほど、それはイエスを神格化しない、
成長した「息子」に対するふつうの母親の視線。
マリア自身、磔刑場では難を逃れるため
イエスが降ろされる時、立ち会わずその場を
逃げ去ったことを後悔する人間味をもつ。
そして、「神の子」とそれを取り巻く使徒たちに、
マリアの方でも疑心暗鬼、苛立ちもする。
イエスが行った奇跡は、マリアにとっても
伝聞としてそのまま残るけれど、
リアルな人間マリアの視線を通すと、
キリスト教もこのように始まったのではないかと、
現実味を帯びて歴史的事実として生々しく感じた。
キリスト教信者は、どう受け止めるのだろう。
冒涜的と本をなげすてるのではないだろうか。
聖書を読んだことがある、キリスト教に
魅かれたことがある、・・・程度の私は、
かえって納得がいったし、親しみを覚えた。
例えば、ピエタをみて
「マリアはなぜ捕えられないのか?」
・・・といった疑問を抱いていたので、
この本のようだったのではないか、と。
■ もっとほんとうのこと タゴール寓話と短編
ラビンドラナート タゴール著 段々社 (2002/09)
『もっとほんとうのこと』という短編では、
作品中、おじいさんが孫に
「でも、それは本当のことなの?」と尋ねられて
だれが本当のことだって言った?
´もっと本当のこと′なんだよ・・・
・・・と答える。
読者は、とても平易なしずかな言葉で、
その小さな女の子のように語りかけられる。
それゆえ、さらさらと読めるけれど、
聞き逃せない言葉が、ときどき重い。
個人的には、「創作」についての作品に打たれた。
著者のタゴールは、アジア人初のノーベル文学賞作家。
■ サミュエル・ジョンソンが怒っている
リディア・デイヴィス著 作品社 (2015/8/31)
いきなり
「退屈な知り合い」友人、
「<古女房>と<仏頂面>」夫婦、
「ボイラー」老い・・・
本一冊かけそうな人生の難問が、
ばっさばっさと描かれる。
日々の悶々とした堂々巡りがあほくさくなる。
明るくも暗くもない、やさしくもないけど、
シニカルすぎもしない。
この人の書きっぷりは、何なんだろう。
一冊に56篇。
3行の作品でも侮るなかれ。
図書館に返すのが惜しい。
購入して愛蔵(憎)書にしようか。
■ ■ ■
前回の二冊。
「 海岸通りポストカードカフェ 」と「 ボラード病 」
偶然選んだにしては不思議な程、対照的な2冊だった。
両方とも海岸に近い、限られた空間・地域の中での設定。
その中で善意が集まる「海岸通りポストカードカフェ」と
暗く悪意に満ちた「ボラード病」。
それはそのまま、読後感のあと味の違いになる。
どちらが馴染むか?好きか?・・・微妙。
両方前後して読めて、精神的バランスをとるのには
ちょうどよかった・・・・。
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