朝から、電動草刈機の音がして
裏の空き地の草が刈られている。
隣の工場の窓の上まで伸びたやぶからし。
作業する人の身長を超える草。
二人がかりの作業は半日続いていた。
ここに移ってきた頃、
この場所には遠くからでも目立つ大きな樫の木が葉を繁らせていて、
今の季節は、2階の風呂につかりながら、窓いっぱいに広がる
樫の葉が風にサラサラと音を立てながら輝くのを見るのが好きだった。
木の下には近隣の人が家庭菜園をして、花や野菜が育っていた。
何年かして、落葉が周囲の家の雨どいを詰まらせ、屋根を傷める
というクレームが起こって、大きな木は倒され搬出された。
それを機にわが家でも雨どいを掃除しようと、平衡感覚の
おぼつかない夫にかわって業者をお願いしたところ、確かに
痛い出費ではあったけど、
「雨どいの詰まるところに、いいカバー作れなかったかなぁ。」
「2年に一度ぐらいの出費があっても木は残してほしかったねぇ。」
― あんな、立派な木をもったいないねぇ。と会話した。
古い土地柄だけに、古い建物の解体や新築がつぎつぎにあって、
木のあった空き地の大部分も、昨年今時の家具付の
賃貸集合住宅に変った。
わが家自体、古い木の格子を持つような長屋を解体して建てた
家なのだから必要な変化は、仕方がないとは思うのだけど、
・・・ああ。やっぱり寂しい。
Hermitさんと同じく「もったいないなぁ」「寂しいなぁ」の気分
雨どいを詰まらせるほどの落ち葉といえばきっと大木だったことでしょう
星野富弘さんの詩を思い出しました。
『雑草』
もともとここは
草原でした
そこに人間が
家を建てて
「雑草が生えて困る」
なんていちゃっておかしいねえ
切ったり捨てたりどかしたり
それは簡単だけれど
それで本当にいいのか?って考えて生きていく世の中にしたいものですねぇ
きっとそれがエコな世界を創るはず。
我が家の木を全部切ってしまいました。。。
もったいない気もするし、さびしい気もします。
でも歩くのが楽になりました(^^;)
でもでも、やっぱ「木」とかはいいですね~♪
以前、コメントに書いてくれていた桜も
その時に?残念でしたね。
でも、家族の成長や生活の変化に伴って
庭を変える必要のある時って、あるんだろうなぁ。。。。
「稲を植えたのが最初の環境破壊。」と
誰か言っていました。
私もどの辺に自分のボーダーラインを引くか、
生活の中で時々、選択を迷います。
詩を読んで、昔見たたTVの短編アニメを思い出しました。
神が現れて「一番多い願いを1つかなえる。」
というので、人類は世界中の人が相談し、やっと
決めるのですが、「その日、地球から人類が消えた。」という落ちです。
生き物の総意は、「ヒトがいなくなること。」
詩と共通する視点ですよね。
私は、「雑草が・・・」の方ですが、^^;
自分の代で取り返しの付かないことは
しないでいてくれたらいいのにと思います。