Polepole Life new

びわ湖の湖南に在住。
亡きA.コッカーNOIRと山歩きを愛すシニアライフを綴ります。

ムカデパーク:番外

2007-04-27 16:59:36 | NOIR(A.コッカー)

 
今日は、長いですよ。^^;



 NOIRがツルツルすべりながら歩き廻っていたタイル画は、
俵藤太 百足退治』の図。
 この画題は、有名な伝説からきています。

 何度か、このブログで関連する記事を書いていますが、
 前回、蛇と百足のにらみ合いの敷石を見て
 「ナゼ蛇?」と、不思議に思いました。
 私は、お姫様に頼まれて・・・程度の認識だったのです。
 で、調べてみると実はその娘は・・・。
    

                             唐橋東詰 タイル画

《俵藤太 近江三上山百足退治伝説》
 ある日、俵藤太秀郷という武将がが勢田の唐橋に通りかかると
大蛇が橋に寝そべっています。人々は怖れて通れません。
俵藤太は、それを踏みつけて通ってしまいます。

 その夜、街道の宿屋の俵藤太を一人の娘が訪ねてきます。
実はその娘は昼間の大蛇。
龍神一族の娘(竜王の娘:乙姫)が瀬田の唐橋で藤太を見込んで
百足退治を懇願しにきたのでした。藤太は快諾し、剣と弓矢を携えて
唐橋に向かうと三上山の方から山を7巻き半する大百足が現れた。
藤太の矢は大百足には通じないのですが、最後の1本の矢に唾をつけ、
八幡神に祈念して射るとようやく大百足を退治することができました。

 その後、俵藤太は琵琶湖の深底にあるという竜宮城に案内され
米の減らない米俵など沢山の礼品を竜王から送られたのでした。



                             唐橋中洲 立看板
 

類似する伝説は、他にも見られますがこのストーリーは主に
2つの異なった話が合体しているようです。

1つは、ご存知 『浦島 太郎』。
 (まさか竜宮城が、琵琶湖の湖底にあったとは・・・。)

もう1つは、秀郷の本拠地である下野国に伝わる日光山と
赤城山の神戦の中で、大百足に姿を変えた赤城明神
猿丸太夫が討ったという話。

ちなみにワタシの母の出身が赤城なのです。

まさか百足さんが赤城に縁があるとは思っていませんでしたが、
なんとなく、ただ琵琶湖の魚を食べすぎたばっかりに討伐された
百足さんを、気の毒に思えてきました。


 

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