園長のつぶやき

こんにちは 長坂保育園の園長です。日々成長する子ども達を見ながら、日頃の思いを綴ります。

お弁当

2009-10-15 18:35:25 | 日記
園長です。
 昨日は、遠足でした。私は年長、年中組と一緒にこどもの国へ行ったのですが、お昼のお弁当には驚きました。お母さん方の力作がずらり。ピカチューやドラえもんなどを型どった色合いのきれいな、食べるのがもったいないくらいのお弁当がたくさん。子どもたちは先生を呼んで自慢げに見せていました。めんこいテレビで幼稚園のお弁当を紹介する番組がありますが、内容的にはそれに勝るとも劣らないくらいの出来でした。当園では、毎週水曜日が「おにぎりの日」になっていて、子どもたちが楽しみにしている日がありますが、その集大成と言えるほど気合いが入ったお弁当でした。お母さん方の子供に対する愛情の深さがわかるようでした。
 子供たちの弁当を見て、私の小学生時代のことを思い出しました。私の家は専業農家で、両親は朝早くから出掛けるので、弁当があるときは、自分で弁当を作っていました。当時は「どかべん」というアルミでできた四角い頑丈な弁当箱で、御飯がいっぱい入るものでした。おかずといえば、自分で焼いた卵焼き、たくわん、梅干しくらいでした。家でニワトリを飼っていたので卵だけは毎日新鮮なものがありました。我が家の卵焼きは「塩」が入っており、しょっぱい味でした。卵に塩を入れると、焼きあがりが黄色くなり、食欲がわきました。出汁巻き玉子や砂糖入りなど甘い卵焼きがあることを知ったのは結婚してからでした。それまでず~と卵焼きは「しょっぱい」と思っていたのです。そしてタクワン。これがくせ~もので、冬、寒くなるとストーブの周りに弁当箱を置いて温めるのですが、タクワンの強烈なにおいが教室中を包み、犯人探しが始まるのでした。
 もうひとつ、今思い出しても悲しい遠足の思い出があります。「佐賀のがばいばあちゃん」の運動会のお弁当事件にも負けないくらい悲しい思い出です。小学6年の春の遠足のこと。お弁当は母が作ってくれたのですが、大きく不格好な「お稲荷さん」が1個ときゅうりの古漬けが2切れ・・・。みんなはおいしそうなお弁当を見せ合ってグループで輪になって食べていました。私は自分のお弁当の中身を知っているので、隅のほうで一人で後ろを向いて、静かに食べようとしていました。その様子を担任の先生が不審に思い、私の弁当箱をのぞき・・・「うまそうなお稲荷さんだなあ、先生のと交換しないか」といって高そうな黒い海苔で巻かれた「太巻き」を置いて行ったのです。その海苔巻きのおいしかったこと・・。今でも鮮明に覚えています。私の母親は基本的に、料理が得意ではなく、小学校の時は、弁当の時間は、いつも弁当箱のふたで、弁当の中身が見えないように隠して食べていました。中学になったら学校給食が始まり、いらぬ心配をしなくてもよくなりましたが、給食の時間が、今の子供たちとは違った意味で嫌いでした。今はメタボで苦しんでいる園長ですが、こんな時代もあったのです。弁当についてはまだまだ悲惨な思い出や自給自足の思い出などたくさんあります。多分、昭和20年30年生まれの方は同じ思いを持っていると思います。少しづつ恥をさらしていきたいと思っていますのでご期待ください。・・・遠足で子どもたちの気合いの入ったお弁当を見てこんなことを思い出してしまいました。そういえばあのときの先生はどうしているかなあ。
コメント
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