園長のつぶやき

こんにちは 長坂保育園の園長です。日々成長する子ども達を見ながら、日頃の思いを綴ります。

急行十和田

2009-12-15 18:58:32 | 日記
園長です。
 今日はちょっと用事があり、栃木県宇都宮まで行ってきました。宇都宮は東京に近いのですが意外と不便な場所です。東北新幹線の盛岡以北から宇都宮まで3時間を超えます。ちなみに今日は八戸からはやて号で仙台まで。仙台からやまびこ号で宇都宮までいきました。私が大学生のころは東北本線一本で青森から上野まで特急電車「はつかり号」が走っていて、八戸から上野まで約8時間かかりました。私が初めて東京に行ったのが小学6年生のときで、当時はまだ特急電車が無く、急行が主でした。まだ、蒸気機関車の時代で、トンネルに入るとあわてて窓を閉めた記憶があります。私の家は比較的古い家柄だったので、多くのしきたりがありました。「盆、正月には必ず、家族が集まる」というのもその一つでした。ですから、私は学生時代どんなことがあっても盆と正月は帰省していました。友達の中には盆、正月を利用して旅行をしていた者もいましたが、私にはなぜかできませんでした。その帰省に良く使っていたのが「急行十和田」の夜行列車でした。この電車は常磐線経由で宇都宮や福島を通らず、太平洋側の相馬、いわき、水戸などを通り仙台までいく電車でした。上野を午後9時ごろ出発し、翌日の朝7時くらいに八戸へ着くパターンが多かったと思います。お金に少し余裕があるときは「寝台車」を利用しました。3段に仕切られた狭い空間の中で、ガタンゴトンとゆられていくがとても好きでした。今でもおかしく思うのは、当時の列車は走行中でも手動でドアが開き、ドアを勝手に開けて、外の空気を吸えたことでした。今では考えられませんが、当時はそれでも事故らしい事故はなかったと思います。また、踏切は電車が来ると閉まり、カンカンカンと警報機が鳴ります。当たり前の話なのですが、当時は、列車の中にいるという自分を外から考えていたので、この踏切はいつも鳴っている、故障しているのではないか・・・と本気で思っていたこともありました。この急行十和田に冬の時期に乗ると、座席の下からのスチームで汗が出てくることもしばしばでした。暖房設備が整備されていなかったので温度調整ができなかったのです。それでも10時間後には無事着いたのですから感謝です。盛岡を過ぎるころには朝が明け、雪景色のかなたにぼんやりと太陽が雲を焦がしながらのぼる姿は感動モノでした。いろんな思いを乗せて走った急行十和田も無くなり、近代化された立派な電車ばかりになりましたが、時間がゆっくり過ぎていく、昔の列車が恋しいのは、私も古くなったからでしょうか。東京と八戸を結ぶ列車の思い出はたくさんあります。今日の宇都宮も後から思い出すと感慨深い旅になるのかもしれません。もう少しで今年も終わりです。我が家の子どもたちも帰ってくるのでしょう。「正月は家族で過ごすこと。」・・・亡くなった親父の声が聞こえてきそうです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする