園長です。
今日で今年の仕事は終わりです。俗に言う「御用納め」です。御用納めと言えば官庁の御用納めの様子がテレビなどで映し出されますが、最近は少し様子が違うようです。私がこの世界に入ったころの役所の御用納めは、土曜日でもないのに午前中には仕事を止めて、午後は思い思いにのんびり過ごしていました。アルコールもあったような無かったような・・・。本当にのんびりしたものでした。
私が仕事納めで思い出すのは、学生時代のアルバイトです。前にも書いたとおり私は学生時代にたくさんのアルバイトをしました。ある時は小・中学生の家庭教師。またあるときは、ビル工事の建築現場の力仕事。はたまた夏の海でのアイスキャンデイ売りなど。でも一番続いたのは、秋葉原のふぐ割烹「神谷」でのアルバイトでした。足掛け3年もここで働かせてもらいました。今でも上京の折にはたまに顔を出しています。ここはフグ料理の専門店で「てっさ」(ふぐ刺し)「てっちり」(ふぐ鍋)などが飛ぶように注文されていました。私は友人たちと「仲居」及び「洗い場」を担当していました。お客さんが食べるフグ料理を毎日毎日横目で見ながらよだれを垂らして仕事をしていたわけですが、1年に一度従業員が飲み放題食べ放題の時がありました。それが今日の仕事納めの日です。店は12月28日に終わります。その次の日に「大掃除」をするわけですが、その大掃除を手伝った人だけがそのご褒美にありつけるのです。私の家では「正月は家族で過ごすこと」という家訓があるため、なかなか12月29日まで東京にいることはなかったのですが、大学3年の冬に初めて大晦日に家へ帰る切符をとり、大掃除を手伝ったのです。大掃除はゴキブリとの戦いでしたが、朝9時ころから始まり、夜の6時くらいまでかかりました。そのあとにお待ちかねの「ふぐ料理三昧」が行われたのです。いつもよだれを垂らして見ていた「ふぐ刺し」や「煮こごり」「ふぐ鍋」など初めて味わいました。ふぐ刺しは薄造りできれいでしたが、3,4枚まとめてポン酢につけて食べるとおいしいことがわかりました。一番ショックだったのは「ひれ酒」を飲んだ時でした。他人が飲んでいるのを見ていたときは、おいしいもんだろうなあ。くらいにしか思っていませんでしたが、実際口の中で味わうと、「こんなおいしいお酒があったのか」と思うくらい感激してしまいました。私は中学の時から、親父の指導のもとにお酒をたしなんでいたので、少しは味が解るのです。この時に飲んだ「ふぐのひれ酒」はその後の私ののん兵衛の生き様に大きな影響を与えたのでした。とにかく午後6時過ぎから「酒地肉林」?の大宴会は終電間際の電車の時刻まで続き、世の中にこんなおいしい食べ物があったのかと思いながら、遠慮などすることもなくたらふく食べたのでした。ひれ酒の酔いも手伝って「おじや」を作るころにはロレツが回らなくなるくらい酔っぱらっていたのを覚えています。もう30数年前のことです。今、あのような宴会をしようとしたら財布にいくら持って行ったらいいのか想像もつきません。でも、そこの主人やおかみさんはとても良い人で、私たち貧乏学生をとても大事にしてくました。その後、新婚旅行の時と、仕事仲間で数回「神谷」に行きましたが、行くたびにごちそうになっています。今は近代的なビルになっていますが、当時は木造の由緒正しい建物でした。店の前にしだれ柳の木があり、ゴキブリがひっきりなしに行き来していたのをさぼりながら見ていたのを思い出します。「社会人になったら友達を大勢連れて飲みに来てくれよ。」という江戸っ子のご主人のかすれ声が聞こえてくるようです。今の時期になると思いだす一生に一度の御用納めでした。
今日で今年の仕事は終わりです。俗に言う「御用納め」です。御用納めと言えば官庁の御用納めの様子がテレビなどで映し出されますが、最近は少し様子が違うようです。私がこの世界に入ったころの役所の御用納めは、土曜日でもないのに午前中には仕事を止めて、午後は思い思いにのんびり過ごしていました。アルコールもあったような無かったような・・・。本当にのんびりしたものでした。
私が仕事納めで思い出すのは、学生時代のアルバイトです。前にも書いたとおり私は学生時代にたくさんのアルバイトをしました。ある時は小・中学生の家庭教師。またあるときは、ビル工事の建築現場の力仕事。はたまた夏の海でのアイスキャンデイ売りなど。でも一番続いたのは、秋葉原のふぐ割烹「神谷」でのアルバイトでした。足掛け3年もここで働かせてもらいました。今でも上京の折にはたまに顔を出しています。ここはフグ料理の専門店で「てっさ」(ふぐ刺し)「てっちり」(ふぐ鍋)などが飛ぶように注文されていました。私は友人たちと「仲居」及び「洗い場」を担当していました。お客さんが食べるフグ料理を毎日毎日横目で見ながらよだれを垂らして仕事をしていたわけですが、1年に一度従業員が飲み放題食べ放題の時がありました。それが今日の仕事納めの日です。店は12月28日に終わります。その次の日に「大掃除」をするわけですが、その大掃除を手伝った人だけがそのご褒美にありつけるのです。私の家では「正月は家族で過ごすこと」という家訓があるため、なかなか12月29日まで東京にいることはなかったのですが、大学3年の冬に初めて大晦日に家へ帰る切符をとり、大掃除を手伝ったのです。大掃除はゴキブリとの戦いでしたが、朝9時ころから始まり、夜の6時くらいまでかかりました。そのあとにお待ちかねの「ふぐ料理三昧」が行われたのです。いつもよだれを垂らして見ていた「ふぐ刺し」や「煮こごり」「ふぐ鍋」など初めて味わいました。ふぐ刺しは薄造りできれいでしたが、3,4枚まとめてポン酢につけて食べるとおいしいことがわかりました。一番ショックだったのは「ひれ酒」を飲んだ時でした。他人が飲んでいるのを見ていたときは、おいしいもんだろうなあ。くらいにしか思っていませんでしたが、実際口の中で味わうと、「こんなおいしいお酒があったのか」と思うくらい感激してしまいました。私は中学の時から、親父の指導のもとにお酒をたしなんでいたので、少しは味が解るのです。この時に飲んだ「ふぐのひれ酒」はその後の私ののん兵衛の生き様に大きな影響を与えたのでした。とにかく午後6時過ぎから「酒地肉林」?の大宴会は終電間際の電車の時刻まで続き、世の中にこんなおいしい食べ物があったのかと思いながら、遠慮などすることもなくたらふく食べたのでした。ひれ酒の酔いも手伝って「おじや」を作るころにはロレツが回らなくなるくらい酔っぱらっていたのを覚えています。もう30数年前のことです。今、あのような宴会をしようとしたら財布にいくら持って行ったらいいのか想像もつきません。でも、そこの主人やおかみさんはとても良い人で、私たち貧乏学生をとても大事にしてくました。その後、新婚旅行の時と、仕事仲間で数回「神谷」に行きましたが、行くたびにごちそうになっています。今は近代的なビルになっていますが、当時は木造の由緒正しい建物でした。店の前にしだれ柳の木があり、ゴキブリがひっきりなしに行き来していたのをさぼりながら見ていたのを思い出します。「社会人になったら友達を大勢連れて飲みに来てくれよ。」という江戸っ子のご主人のかすれ声が聞こえてくるようです。今の時期になると思いだす一生に一度の御用納めでした。